600Vまでのひまつぶし企画
2006.9.9

演出と作者達の言葉


 

上演時にみなさんにお渡しするパンフレットに掲載した
演出と作者二人の言葉です

いつもはHPには載せませんが
まあたまにはね

演出がブログをちっとも更新しない記念ということで(おいおい)


<演出の言葉 …沓名 稔>

僕の場合、過去の思い出はにおいと連動している場合が多いように感じます。

においってのは正確な言い方じゃないかもしれません。
鼻で感じるにおいじゃなくて
口の中全体で感じるようなあの「におい」のことです。

たとえば、中学生の時の統一テスト。
学力テストごときのために、
知らない高校の教室までわざわざ出向いていくとき感じた
−そのテストは確か2回あったと記憶しているが、その2回とも同じように感じた−
あの「におい」

たとえば、みんなで海に行った帰り道
ドライブインで海の浮力をまだ感じながら話していたときの
あの「におい」

たとえば、盆踊りの帰り道。
金魚すくいでもらったビニール袋入りの金魚を側溝に落として、
必死に探したけど暗くて見つけられなかったときの
あの「におい」

金魚に申し訳なくて泣きながら帰ったとき、
姉から「水溜りで元気に生きてる金魚を見たことあるよ」と慰められたときの
あの「におい」

年を重ねるごとに、そんな風に感じる機会は少なくなったような気がするけれども、
いまでも時々「におい」とともにそのときの情景が浮かんだりすることがあります。

 
本日はご来場ありがとうございました。

今回は路面電車のお話です。

僕自身は路面電車にあまり乗ったことがなくて、
乗ったとしても通勤や飲み会のあとに使うことが多かったのですが、
一度だけ夏の午後に乗ったことがあります。

ゆっくり走る電車の窓から入る風と、窓から見上げた雲、
それから、そのときの心地よい「におい」をよく覚えています。

路面電車に乗ったことがある人にも、
乗ったことがない人にも、
若い人にも、年配の方にも、
そんな「におい」を感じてもらえればとてもうれしく思います。



<作者達の言葉 その1 …劇団最年少 佐古まりの>

一応、今年から女子大生をやっている。
花の女子大生である。(花?)
そんな18歳の私は今回、20歳は年のはなれた
38歳の中島先生と台本を書いている。
ここでひとつぶっちゃけておきたい。

台本の構成を考えるとき、2人でよく、
ファミレスで話をした。時間は夜9時過ぎ。

あきらかに歳の差のある私たちが親しげな
雰囲気のなかで、女側の私は相手の男性を
「先生」と呼んでいる。
私が警察なら、即、職務質問をすると思う。

私が「先生」と呼ぶのは、高校時代の演劇部の
顧問だったためそう呼ぶのであって、
それ以上の意味はないのだが、それ意外の意味は
世間的にはきっとあるわけであって、
中島先生のことを「おじさん」と思ったことは
ないけど「くまさん」と思ったことは多々あった。
だから、くまさんと親しげに会話している私は、
はたから見るときっと野生動物に優しく接する
癒し系にみえるに違いないと思った。
もちろん話し合いの最中、フリードリンクを
何杯もお代わりする私は、どちらかというと
卑しい系なんだろうけど、
まあ言葉が似ているからいっかということで、
今日まで癒し系を気取って生きてきました。

ともかく、そんなこんなで大まかな構成も終わり、
中島先生の家に上がり込んで台本を書き始めた。
そんなある日の5月の午後のことだった。
先生はあいかわらず忙しくて、
だから二人で台本が書けない日々が続いていた。
先生は、たまっているストレスを
発散でもするかのように、ダダダダダッっと
打ち込んでいた。

私もその日は、なんだか調子がよかった。
でも、そういうときにひどい目に遭うのが、
大凶女の私の宿命なのだ。「佐古まりの」という
名前の画数は凶と大凶だらけなのだ。

要するに、パソコンがフリーズした。 

時間も止まった気がした。

色々試行錯誤をしたが、うまくいかず、
あとの祭りであった。こういうことがよくあると
先生が説明していた。
あっ、だから、劇団あとの祭りなのかあ、と、
漠然と思っていた。
先生はだまってしまった。なんか考えてるみたいだった。

突然、歌を作ろうと思った。
癒し系としてここはがんばろうと思った。
だからどうせなら、校歌を歌う場面を入れることにして、歌を作ろう。
でついでに、ケーキも買いに行こう。
と提案した。先生に車を走らせ、ケーキを買って
もらった。そして中島家に混じってケーキを食べる私。
ちょっと幸せになった。
そして先生と歌を作った。まだどこか落胆していた
雰囲気だったけど、作詞を私がして、作曲を先生がして、
曲ができあがるあたりは、中島家と私で合唱していた。
私より14歳年下、先生の娘さんも一緒に歌っていた。

何かを作るということに、
年の差は存在しないのだと思った。
この台本も実は昭和の時間も越えた台本だ。
だから、この600Vをみにきている老若男女の人達にも
これをみていろいろな時の壁を越えてみてくれれば
いいなぁーとその時思った。うん、いいぞ私(・ω・)/

ただ問題なのは、そしてその日は、
歌だけ作って終わってしまったということだ。

あっ、下はその時の歌です。
よかったら、劇中一緒に歌ってください。


<作者達の言葉 その2 …劇団最年長 中島充雅>

 

私は38歳です。
でも各情報誌では36歳と紹介されていました。
事故です。
でもうれしかったです。
自分が、おやじだっていうことに、
このごろ自覚が芽生えていますから。
「セクハラおやじ」とか「ダジャレおやじ」とか
声に出して言われたら、もう生きていけない年頃です。
とにかく、「○○おやじ」といわれないように生きる。
社会の虫けらにならない。これが私の目標です。
私、今からぶっちゃけます。


今回の脚本「600V」は佐古まりの女史との
共作です。でも、まりの氏、私の高校の演劇部に
ついこないだまで在籍していた部員なのです。
10代。劇団最年少!私より20歳も若い。
きっと私は「○○おやじ」。
口に出して言いはしなかったけど、
そう思っているかもしれない!
いや、思ってなくても、彼女の潜在意識の中で、
私が「○○おやじ」として息づいているかもしれない!
そんなの許せない。なんとかしなくちゃ。

そう思いながら、私、書いていたのです。
つらかったです。だから、私がパソコンに向かい、
私がプロッティング(話の構成)をし、
隣で彼女がセリフ言うというスタイルで書きましたが、
これは、私がセリフを言うと、
うっかりおやじギャグをせりふで言ってしまい、
彼女に「この人おやじだ」と心の中で
つぶやかれるのを防ぐためだったんです。
共同執筆者に対して、よこしまな気持ちでいたことを
ここで告白します。

でも、こういう気持ちでいた自分が、
あの悲惨な事故の原因になったことを、
後悔しているから告白します。

あの事件は5月におこりました。

隣にすわる彼女のセリフを打ち込み
執筆は急ピッチに進んでいました。
大変調子がよく、このままいけば、
今日、稽古場に完成台本を持って行けるかも
しれない。そんな予感に包まれていました。
私は、キーボードを打ち込みながら、
青春を感じていました。
20歳年下の彼女と意見を戦わせながら、
新しいアイデアがあふれ、
セリフがやつぎばやに生まれました。
演劇の神様達がその時、私達のまわりに
行列で降臨していたかもしれません。
ああ青春。うなれ、私の指先!

パソコンがフリーズしました。

私は電磁波体質なんです。
私が脚本を締め切りまで書き上げたことが
ないのは、調子がいいと私の体から
電磁波が放電され、パソコンを
フリーズさせてしまう。という事故にあってきたせいなんです。
本当です。信じてください。
私の台本が遅いのは、私の体質のせいなんです。
狼狽する彼女に、私はできるだけ冷静に、
自分の体質の秘密を説明しました。
だから、私の台本はいつも遅れるんだよ。
演劇部でもそうだったじゃないか。

かわいそうに、彼女は言葉を失っていました。
きっと僕のこと心の中で、「電磁波おやじ」とかいっているのでしょう。
その時です、突然彼女が言いました。
歌を作りましょう。
それから、ケーキを食べましょう。



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