走る男                         蔦川信一 ラーメン作りに命をかけている男            門屋町一平 ラーメン作りに命をかけている男を愛する女           薫 ラーメン作りに命をかけている男に金を貸した女      中根玲子 ラーメン作りに命をかけている男に金を貸した女の助手   間瀬正一 ラーメンの全てを知る者                   師匠 ラーメンの全てを知る者の弟子                弟子 ラーメンにツユと消えた女                   恵 ラーメンを愛する男                      男 「ラーメン世界一あるよ」の男            ウーロン・ガイ 「ラーメン世界一あるよ」の男の娘       チャーシュー・メン 「ラーメン世界一あるよ」の男の娘          ワンタン・メン ラーメン屋台の親父を待つ客   係長・社員森山・社員猿河・男社員 ラーメンにむせび泣く客     哀愁の課長・哀愁のOL・哀愁の平 ラーメンをいいかげんに作る親父 黒い客 第一幕 ラーメンをすする音。 鍋の湯気の向こうで大勢の客。 ここは屋台の内側。 親父を囲んでラーメンを食べる大勢の客。 ラーメンを作る親父の後ろ姿。 季節は晩秋。 親父 へい、らっしゃい。はい、醤油。はい、そこの方そうお二人さん、塩二つ。はいはい(鼻歌)はい、チャーシュー入れてって?入れましたよ、お客さん。一生懸命やってんですから、いい加減なこと言わないでよ。入れないわけ…何、つゆがからいってー、はい水ねー、そこあるから飲んでよ。うんそうそうそう。忙しいからさー、みんな勝手にやってよね。……。 大勢の客、おとなしく食べている。 そこへ一人の客。黒い客。 黒い客 親父。 親父 はい。 黒い客 麺がゆですぎだね。 親父 ごめんよお客さん。 黒い客 ゆですぎなんだ…麺がね。 親父 でもだしはいいだろ。 黒い客 だしの配合は、鳥7、ぶた2、鰹だし1だね。 親父 そんなもんかなー、って、何でわかるの。 黒い客 ぶたケチりすぎだね。しかも3時間しか煮ていない。あわててやってるから、あんた煮立てちまったよ。スープは真っ白に濁る。でもコクがない香りがない味がない。最低だ。 親父 あっ、そこのお客さん何しましょう。 黒い客 チャーシューはスーパーで買ったね。刻んだネギは昨日のものだね。 親父 何、馬鹿なこと言ってんだ。商売の邪魔なんだよ!俺だって一生懸……。 電車が来る。 親父、丼をつかんで怒っている。 黒い客が少し動く。 おやじ止まる。 親父 ……やってん……だ……。 黒い客 まずい。 噴きだす血。 遅れて切断音。はじかれる親父。 切断音、切断音、切断音、切断音、切断音…… 切り刻まれていく親父。かわいそうな叫び声。 鍋から湯煙が吹きだす。大勢の客の叫び声。 電車の走り去る音。そして全てが消える。 風。ラーメン屋台。 客が3人座っている。 男社員と女社員の森山と猿河。 風に、3人は寄り添うように座っている。 猿河 今夜は寒いね。 森山 もうすぐ冬だしね。 猿河 おなかすいたね。 森山 そうね。 猿河 今夜雪かな。 森山 まだ早いでしょ。 社員 あっ係長だ。 係長走ってくる。はあはあぜいぜい。汗だく。 係長 はあはあはあはあはあはあ。 森山 あせだくだ。 猿河 うん。 森山 どうして。 猿河 探してたんでしょ。 森山 店の親父? 社員 係長、どこいっちゃってたんですか。 係長 いろいろと店の親父探して、あてもなく。 社員 走ってたんですか。 係長 いや今日はさ、君達におごってやるつもりだからさ。店の親父いないなら、探さないと。 社員 はあ。 係長 ラーメンをさ。食べたいし。おごるから。 社員 はあ。 係長 水もらっていいよね。 社員 さあ。 係長 いいよね。水もらって。 社員 …。 はあはあはあはあ。 水を屋台からもらう係長。 森山 だから万年係長なのよ。優しい顔して、自分勝手でさ。 猿河 見栄っ張りなくせに、ケチでさ。 社員 係長、勝手に飲んじゃいけませんよ、そんなにたくさん。 森山 ねー係長、他行きません?店の親父来るの待っていても仕方ありませんし。 二人席立つ。 係長 あー、座っていい? 猿河の隣に座る。猿河ちょっと離れる。 森山、座り直すわけがないが 係長 座って待とう。 森山、座る。すきまがあいてる。 係長 今夜は寒いね。 男来る。 男 あの、この屋台の親父は。 社員 いません。あなたは。 男 常連の客です。 社員 ここの親父知りません? 男 さあ。 男、鍋などを見る。 猿河 係長、何でラーメンじゃなきゃだめなんですか。 係長 うん。 森山 私、いいお店知ってるんですよ。 係長 うん。 森山 インド料理なんですけど。ちょっと高いんですけど。 係長 うん。 森山 もちろん割り勘で。 社員・猿河 そうそう。 森山 ね。 係長 うん。 男 待ってください。 間。 男 もうすぐ来ますよ、店の親父さん。鍋に火がついてる。 社員 そう。 男 いや、その、なんか話し相手いないんで、…一人はちょっと。 社員 はあ。 係長 …待ちましょう。 森山 …ふー。 電車が通り過ぎる。 男 屋台のラーメンが何でうまいか、みなさん知ってますか。 社員 何です? 男 屋台のラーメンが何でうまいか。 係長 そりゃ要するに、あれを食べる時ってのは、腹が空いてるから食べるんです。 社員 はあ。 係長 付き合いで、酒飲んだ帰りなんか、終電降りて、赤提灯で「ラーメン」ってあれば、もう誰だって食べちゃいます。特に最初のひとすすりなんか、もう最高です。 猿河 そういう話すると、なんかラーメン食べたくなるよね。 森山 私はネギラーメンがいいな。 猿河 いいよね。 社員 この店、あるみたいだよ。 森山 ホント。 社員 そこに書いてあるよ。 森山・猿河 えっ。 社員 ほら。 男 それ以外の話がまだあるんです。 係長 それ以外って何です。 男 これは、僕がこの屋台の親父から聞いた話なんだけど、それ以外の話があるんです。 社員 どういう話だよ。 男 この話はまず、風のように疾走する一人の男の話から始まる。 風のように疾走する男(=信一)登場。短パン、ランニング姿。 猿河 誰?この人。 森山 さっきの係長みたい。 男 彼はその時走っていた。時は夕暮れ、全てが真っ赤に染まる黄昏の晩秋の夕べ。街灯がビルがポリバケツがポストが野良犬がどぶの羽目板が、血だらけになったように真っ赤にそまっていたのだった。そして、赤い世界の真ん中を、一人の男が走っていく。彼はその時、「自分は風だ」と思ったかもしれない。自分は一陣の風だと、キラリと白い歯を見せて、少しさわやかに笑ったかもしれない。彼は走った。まさに疾走していた。涙なんかじゃ追いつけない疾走する悲しみが彼自身だ。 信一・男 「そうだ、俺は今何故か体が震えるんだ。何故か魂が震えるんだ。宇宙と一体になった自分を感じるんだ。俺は、俺は、今、風だ。」 全員、風のように去る。 一平 ただの食い逃げだー。 屋台を引きながら、猛然と疾走するもう一人の男、門屋町一平。 信一、一平、デッドヒート。 一平、おもむろにサンダルを脱いで、信一をはたく。 いい音。二人からみ合う。 そこは高架下。屋台の前。信一、一平に突き飛ばされて転げる。 信一、息荒く立てない。一平、信一を見つめている。 信一 冗談なんですよ、冗談。…ほんの出来心なんです。 一平 あんたいい足してるな。速いよ。 信一 …は、…はい。 一平 直線距離で500メートル。よくそこまで逃げ切った。今まで俺から300メートル以上逃げ切った奴はいない。 信一 …ど、どうも。 一平 あんたいい足してるよ。 信一 あの。 一平 何。 信一 あなた、人間ですか。 一平 何で。 信一 何でリヤカー引いた親父が僕に追いつけるんです。 一平 さあ。 信一 サイボーグかなんかじゃない。 一平 サイボーグは屋台やらないよ。 信一 だってですよ。僕は走ることしか取り柄のない男ですよ。実力は金メダル級なんじゃないかと言われた男ですよ。じゃあ、何故そんな男が食い逃げに人生をかけているのか。それは昔付き合っていた、彼女の話にさかのぼります。十七でした。夏の陸上大会の前夜、彼女は言いました。「私のためにも走ってね。」僕は言いました。「でも走るのは君じゃない、僕なんだ。」と。どうして、「うん、わかった、しっかり応援してね。」と言えなかったのでしょう。彼女と別れたのは、それから2ヶ月後のことです。独りぼっちの寂しさは、僕の食い逃げに拍車をかけました。朝昼晩の食い逃げの後、げっぷをしながら夕日を見つめるのが最近の僕の日課です。僕は遠い夕日を見つめながら、心の中でつぶやきます。「お父さん、お母さん、素晴らしい脚力をありがとう。」時々は少し恥ずかしいけれど、口に出して叫びます。「ありがとー」 一平 おまえさ。 信一 はい。 一平 食い逃げのバツの悪さを、青春の思い出を交えた長台詞でごまかそうとしてるだろ。 信一 はい。 一平 立ちな。 一平、立ちざま、信一を殴る蹴る。そして袖に投げ込む。 物がクラッシュする音。信一、出てくる。 信一 ……。 一平 あのさあ、ランニング、短パンで屋台のラーメン食う奴が普通いるか?一目見て「食ったら走るな」ってわかるぞ。 信一 はは。 一平 胸にゼッケンなんてつけるか、普通。 信一 これがないと全力で走れないんです。 一平 屋台の親父はな、その客が、いかなるコンディションで来たか一瞬の判断が必要なんだよ。この客は疲れているか、元気か、腹ぺこか、ちょっと食べたいだけか、なじみの客か、人から聞いてやってきたか。一目で判断して、合わせて作る。微妙に味の加減が変わっちゃうんだよ。俺真剣に作ってんだよ。食い逃げなんて一目でわかるぞ、普通。 信一 でもあんた、それ以前に足も速い。 一平 …俺は普通じゃないんだ。 平社 あっ、課長、ここにしましょう、ここに。 女社 あのー、ラーメン3つお願いします。 一平 はい、いらっしゃい。 信一 …。 一平 これ着な。 と、ラーメン屋の服を投げてよこす。 女社 前、ここにラーメン屋なんてあったっけ。 女社 なかったよねー。 平社 おじさん、この屋台前からあった。 一平 あっし、毎晩場所変えてるんです。 女社 へー、すごーい。 平社 じゃあ、この場所初めて。 一平 はい。 女社 えー、じゃあ私達、今日の一番乗りなんだ。 一平 はい。 信一 俺は? 女社 ねえ、おじさん、サービスしてよ。 一平 そうですね。 平社 わぁー、やったー。 女社 ねぇ、どんなサービス。 一平 今にわかりますよ。 一平、意識集中。あたりは異様な雰囲気で満たされていく。 一平の目は獣のように鋭い。凍てつく客達。 信一 僕の時と作り方が違う。 一平、気合十分。ラーメンを作り出す。 彼の一挙手一投足に、自然現象が反応している。 不思議な光に包まれながら、彼は麺を投げ込み、タレを注ぎ、スープで満たす。チャーシュー、シナチク、ナルト、ノリ、そしてネギが並べられる。 信一 目が、目が。 一瞬、強烈なオーラが客を襲う。 一平 へい、お待ち。(渡す) 信一 だめだー、そのラーメンを食べてはだめだー。 一平 これが俺のラーメンだ。そうまず、君は麺を口に運ぶ。俺のつゆは常に53℃に保たれ、君の唇にはまだ熱いだろう。君はいとおしく、リズミカルに麺をすすり、麺の波が君のその唇をくすぐる。目はチャーシューを見つめたままだ。そう、そして君が、シナチクを口に含み、二度三度麺をすするときには、なだらかに、優しげに、スープが君にたどり着く。ブタの脂とノリの香りがのどの奥で弾けるはずだ。そう、そこまでくれば、僕達は麺もスープもシナチクもチャーシューもない、ただ混沌とした、世界に落ちていける。君はそこで、高く丼をささげ、飲み干す。そしてつく、熱く深く大きなため息。 客全 ぷはぁー。 一平 どうですお客さん。 客全 うっうっうまーい。 一平 喜んでいただけました。 客全 喜びました。 一平 楽しんでいただけました。 客全 楽しみました。 一平 感動していただけました。 客全 感動していただきました。 女社 うまい、うまいぞこのラーメン。 女社 こんなことって初めて。 平社 おじさん、私、明日も食べに来ます。 課長・女社 私も来ます。 一平 だめです。 客全 えっ。 一平 明日は別の場所に行きます。 女社 どこへ! 一平 言えません。 客全 えっえっ。 一平 さすらってるんです。 客全 えっえっえっ。 一平 好きなんです私そういうの。 客全 えっえっえっえっ。 音楽 女社 俺はこれから何を食って生きていけばいいんだ。 平社 もう他の人じゃダメな体になってしまった。 女社 私達もうこれでおしまいなんですか。 一平 またいつか、どこかの街角で、私を見つけてください。今は黙ってお別れしましょう。 客、泣きながら財布を手に。 女社 おじさん、お愛想。 一平 一杯一万円です。 信一も含め、客全員コケる。 信一 いるんだよなあ、こういう親父。「おっちゃん、このパンなんぼ」「八十万円」 客全 ごちそうさまでした。 一平 ありがとうございました。 信一 おい! 和やかな間。 女社 今私達、全てを許された安らかな気持ちなんです。 女社 このラーメンに500円、600円なんてはした金払えません。 平社 あなたも私達の仲間に入りませんか。 客、全員肩を組み、夕日を見つめる。 女社 見て、あんなに夕日が真っ赤。 女社 今日も一日、つらーい仕事や、いやーな上司と過ごしたけれど。 平社 そんなこと忘れて私、明日も生きていけそうです。 客全員、去り際。 女社 あの、せめてお名前を。 一平 名乗るほどのもんじゃあございませんが。 間。 一平 門屋町一平とでも覚えておいて下さい。 客全員、去る。泣きながら。 信一 ただのぼったくりじゃねえか。 一平 味と腕に見合っただけの金をもらう。それだけのことだ。 信一 たかがラーメンだぞ。高い金ふんだくって、しかもみんな泣いてたじゃないか。悲しそうだったじゃないか。 一平 人は俺のラーメンを、哀愁ラーメンという。 信一 自分で言ってるんだろ。 一平 ……。 信一 冗談だよ。怒るなよ。 一平 ……。 信一 俺が食ったラーメンは、ごく普通のラーメンだった。 一平 「食い逃げ」とわかっている客にサービスはしない。 信一 でさあ、俺にも、そのさっきのラーメンを食わせてくれないかなあ。ほら、お金なら今度はしっかり払うからさあ。 一平 お前、食い逃げだろ。 信一 だから、あれは冗談でさあ。 一平 つらぬけよ。 信一 は? 一平 「食い逃げ」は捕まったら、その晩、その店でわびを入れる。それが責任ってもんだろ。 信一 払やいいんだろって、言ってんだろうが。 一平 お前、食い逃げからも逃げようとしているな。 信一 な! 一平 そのうち、逃げ場なくなるぜ。 信一 説教か?はやらないぜ今頃。 一平 しかし、俺の流儀に反するんだ。今夜は一晩働いてもらう。終った暁にゃ、一杯食わせてやるよ。 信一 いらねえよ。たかがラーメン。 一平 その、たかがラーメンの屋台を引いてる親父に、足だけが取り柄のお前は負けたんだ。 信一 わかったよ。働きゃいいんだろ。 一平 じゃあ、この丼片付けな。 と、そこに、巨大な荷物を背負った女(=薫)が現われる。 薫 いっ、いっ、一平さーん。 と薫、倒れて荷物の下敷き。 薫 いっ……一平さん。 信一 あっ、この荷物、おも、ちょっと一平の親父よ。 一平 何だ。 信一 ちょっと手伝ってくれよ。 一平 何だ、薫じゃねえか。 と、軽々と荷物をどかす。 信一 ちょっと、大丈夫。 薫 ……ん、あ。 一平、袋の中を覗く。 一平 薫、これは何のまねだ。 薫、飛び起きる。 薫 一平さん、ただいま帰りました。 信一 あの。 薫 あっ、あー。一平さん、やっと従業員雇う気になってくれたんですね。 一平 そいつは今夜限りだ。それより、これは何の真似だ。 薫、ラーメンスープの鍋を持ってくる。 薫 私、スープの材料を見立ててきました。 一平 何だと。 薫 一平さん、あんなラーメン一人で作っていたら、いつか体を壊します。少しは薫にも手伝わせてください。 一平 お前に出来るのか。 薫 出来ます。勉強しました。 一平 まずこれ!(素早く鳥とブタの骨をだす) 薫 それは鶏ガラとブタガラです。スープの上に浮く油の膜が風味を封じ込めて飛ばさない。その油の膜を調合する割合は7対3。薫、知っています。 一平 それだけじゃない。 薫 さらに、今日の気温は最高10℃。ちょっと肌寒い客には少しくどくてちょうどよい。従って、ブタの割合はいつもより高く、6・5対3・5。 一平 まだある。(と野菜) 薫 それは野菜。ニンジン、タマネギ、キャベツ、ショウガ、そしてその右手に隠しているのはコンブ。コンブははるか、津軽の海から取り寄せた高級のコンブです。 一平 野菜の説明は。 薫 野菜は丸ごと煮ます。新しいものより古いもの。古い野菜がスープのトンガリを優しく包みます。 信一 すごすぎる。全然ついていけない会話。 一平 薫。 薫 一平さん。 一平 これは。 薫 えっ、はっ、ごめん……。 一平 これは何だー(ブタの頭) 薫 ……。 信一 ブタじゃないか。 薫 ブタです。 一平 何歳のブタだ。 薫 ……わかりません。 一平 黒ブタ、オス、8ヶ月。これはただの白ブタだ。 薫 はい。 一平 およそ半年で屠殺される白ブタの脳味噌では熟成が足らない。お前、そんなことも知らずに、俺の代わりをやるつもりだったのか。 薫 すいません。 一平 (殴る)お前はいつも中途半端なんだよ。 信一 何も殴ることないでしょ。(薫に駆け寄って)聞いてりゃなに、この人あんたのために、一生懸命やってるんじゃない。殴ることはないでしょ。 一平 俺はラーメン作るのに命かけてんだよ。 信一 たかがラーメンだろ。 一平 「食い逃げ」に何がわかる。 信一 な!この人、あんたの恋人か、奥さんなんだろ。殴ることはないじゃないか。 一平 おい薫、麺打つぞ。準備だ。 薫 はい。 一平 それが終ったら、ブタもう一度買って来い。 一平準備。 信一 薫さんだっけ。あんた何で黙ってるんだよ。 薫 私、拾われた女ですから。 信一 え? 薫 ……。 一平 薫、ブタ買って来いって言ってるだろ。 信一 俺が行くよ。 信一、白ブタの頭を持っていこうとする。 一平 とうっ。 音「ダン」 信一、振り向く。一平、リュックを背負って背中から落下している。何度も、何度も。 信一 あんた、何やってんの? 一平 麺はできるだけ硬く作るといいんです。非常に手間がかかる作業なんです。カンスイを余計に入れて柔らかめに作るなら、とおーっ 一平、ジャンプ「ダン」 一平 あのシコシコした歯ごたえと腰の強さは全くないんです。とおーっ 一平、ジャンプ「ダン」 門に頭を打つ。血がだらだら。 信一 やめろよ。あんた、やめさせてくれよ。 薫 いつものことですから。麺こねてるだけです。大丈夫ですよ。 一平 何で屋台のラーメンがうまいか知ってるか。 信一 あんた、血が出てるよ。 一平 まずい屋台の親父はな、生きる資格がないからだよー。とおーっ 信一 誰が決めたんだよ。 一平、ジャンプ「ダン」 信一 ……俺、行って来ます。 一平、ジャンプ「ダン」 信一 僕は、最後の光を投げかけながら消えていく夕日に向かって、もう一度走りました。彼女を助けるためでも、単なる親切心のためでもありません。ただ、その場にいられなかった僕は、いつの間にかブタの頭を抱えて走っていました。背後には一平の叫び声と麺が鈍くひしゃげる音が町にこだましています。