劇団あとの祭り上演台本     X(クロス)チェイサー    R22ハリケーンデリバリー Nightoffire, comeoveroverme Comeoveroverthetop you’veneverbeenhere お祈りするなら今のうちだぜ 天国まで、イかせてやる 焼きつくほどに駆け上がれ 今宵、この灼熱の夜に この作品はフィクションです。 実在する人物・地名・団体名とは いっさい関係ありません。 車・オートバイの運転は、 交通ルールを守り、 安全運転を心がけましょう 【A・Side@】 幕前が切れると、真っ暗闇。 ノイズ チューナーを合わせているような音。そして…。 女アナ  こちら、名古屋駅前です。雨はまだそれほどでもないですが、先ほどより 風は出てきたように感じます。傘をすぼめて歩く人の姿も見られます。これ からお出かけのみなさんは、十分注意して下さい。現場からお伝えしました。 再び、チューナーの音。 あらためてチューニングが合うと、 静かに流れはじめる、イージーリスニング。 そしてそこは、夜の高架道路と化す。 遠くに瞬く、街の灯。 通り行く車の音は雨にまぎれ、どこか遠慮がちですらある。 やがて、聞こえてくるイグゾースト・ノート。 遠くから現れる丸い2つ目玉のヘッドライト。 現れたのは、赤のガンマ。 そして、それを駆るフルフェイスのメット男。 男  静かだ。 2ストロークのエンジンは心地よく鼓動し、 吹け上がるイグゾーストは伸びやかに呼吸する。 小雨降る、夜の21号線。 メットについた水滴は、街の明かりを数倍にしてみせる。 静かだ。 こんな夜は、街が、道が、そして、マシンが、 俺を孤独にさせてくれる…。 そして、こんな夜をそこはかとなく愛する俺は、 ちょっとセンチな25才だ。 そう、こんな夜は、「ジェットストリーム」がよく似合う…。 250γの独特の高い排気音とともに、 一人、どっぷりマイワールドに浸る男。 と、彼方から聞こえ来る音。 徐々に沸き立つ場の雰囲気。 男  …しかし…今夜は一人じゃいられないらしい。 各務原方向から、遠く聞こえるイグゾーストが、俺を威嚇してくる。 ミラーに反射した強烈なヘッドライトが、俺の目を焼く。 そして! コーナーを回り、バックミラーに姿を現した漆黒の巨体は! 公道の暴君! 「スカイラインGTR」! 登場Mと共に跳ね上がるボルテージ。 舞台に現れるGTRの黒いボディ。 男  BNR32!どこの走り屋だ、てめぇ! そして、パワーウィンドを下げると、 ひょいと顔を出したのは、意外や女(女2)。 しかも、普段着なのか、気合いの入ったドレスアップ。 どうにも車種に似つかわしくない風体。 女2  ねぇ、ちょっと! 風圧にまけないよう、大声で話し合う二人。 男  …女だぁ? 女2  ちょっと、聞きたいんだけど! 男  俺に言ってるのか?! 女2  他に誰がいるのよ! 男  ふ、いかにも。「国道21号の狼」とは、俺のことだぜ。 女2  いや、聞いてない、聞いてない。 男  聞きたいことがあるんなら、俺を抜いてからにするんだな。 女2  聞きなさいってば。 男  女だからって、容赦はしないぜ! 男、急加速。 女2のGTRを引き離す。 女2  あ、ちょっと!…もう、どうしてこう「走り屋な男」って、自意識 過剰なのかなぁ。 女2、ポケットに突っ込んであったグローブを引っぱり出し、左右の 手にはめる。 女2  …ったく、しゃあない…いっちょ行くかぁ! セカンドまでシフトを落とすと、 踏んづけるような勢いで、アクセルを底まで踏み込む女2。 シフトアップしながら、猛烈に加速するGTR。 男  おぉ!もう追いついて来た! 女2  当然!アテーサETS・4WD、V6ターボ・ルマンタービン搭載、総計 500馬力オーバーの圧倒的な加速力!ニーハンのガンマとじゃ「格」が違 うわよ、「格」が! 男  くそ…。 ガンマを追い上げるGTR 男、高架下へ。 女2  あ、ちょっと! 男  その図体だ。下道までは追って来れまい! 女2  こら!逃げるな! 無理な車線変更。 悲鳴を上げ、外側へふくらむGTRの後輪。 女2  …っとっとっと… 男  滑った!ばかめ! 女2  なんの…なめるなぁ! ==スローモーション(もうすでに、何でもアリでございます)== 左右の足がヒール・アンド・トゥを。 左手がクラッチワークを。 右手がステアリングを。 そして、アドレナリン漬けの脳が、それら全てを統括し…。 男  何ぃ!イナーシャル・ドリフトだとぉ! 女2  あたしに勝とうってんならなぁ…豆腐屋のセガレでも呼んでこぉい! 男  うおおぉ! GTR、そのまま車体を滑らせると、抜き様にバイクのコースをふさ ぎにかかる。 と、急に素になる女2。 女2  …あ、ごめん。 男  え? ごん! 接触する2台。 スピンしながら、ぶっ飛ぶ2台。 当然、バイクは転倒、 GTRも、スキール音をまき散らし、やっとこ止まる。 降りる女2。 雨に気づくと、いったん戻って、濡れないようにコートを頭からかぶ って男に近づく。 女2  ごめ〜ん。大丈夫? 男  「大丈夫」じゃねぇ!それ、1.5トンもあるんだぞ!死ぬぞ!マジで! くっそ、痛ってぇ…。 女2  ごめんねぇ。タイヤへってんの、すっっっかり忘れてたわ。おまけに雨で しょ。いやぁもう滑る滑る。ドリドリってカンジ? 男  いるんだ、いるんだ。こういうヤツ。まけるとすぐにイイワケ作るのな。 路面がどうだの、「慣らしが済んでなかった」だの、「下りならまけない」だ の。大体がだぞ、32(サンニー)なんてデカブツが公道走ってる事自体が まちがってんだ。ましてや女の乗る車じゃねぇだろう…。 ぶつぶつ言い続ける男をよそに、女、落ちていたメットの名前と、懐 から出した封筒の宛名を照会している。 男  聞いてんのか、あんた。 女2  うん一応…まぁ、でも左側で良かったじゃない。多分、マフラー無事 だよ…って、やだ、ケガしてんの? 男  ケガくらいするぞ、普通。 女2  大丈夫?ちょっと見せて。 女2、男の右手のグローブをはずし、なにやらごそごそと…。 男  いや、あの…痛いの、そのへんじゃないんだけど…。 女2  ま、いいから、いいから。 女2、ポケットから出した書類に、男の拇印をとる。 男  …おい、ちょっと…。 で、その書類を渡して。 女2  はい。 男  何これ。 女2  受け取り。と、それから、これ(封筒)。クニのお母さんから帰りの切符 だって。心配してたわよ。 男  何であんたがそんなこと…。 女2    (かまわず)速達で切符送っても、ちっとも帰ってこないから、何かあっ たんじゃないかってさ。たまには帰ってあげたら? 男  大きなお世話だ。他人ちの家庭の事情に首突っ込むなよ。 女2  ま、それもそうだけどね。 男  …ウチなんかイカ漁やってんだぞ。家中イカ臭いんだぞ。んなとこそ うそう帰れるか。 女2  イカ、嫌いなの? 男  あんた、好きかよ。イカ臭い男。 女2  仕事でしょ?「青臭い走り屋」より、「イカ臭い海の男」の方がカッコ良 いと思うけど。あ、そだ。 男  同類だろうが!あんたに言われたくはないぞ! 女2  残念でした。あたしは仕事ですぅ。 言いながら女2、車に戻ると…。 女2  はい。これ、おまけね。 男  ? 女2  あんたん家のスルメ。お駄賃にもらったんだけど、あげるわ。それ、食べ て、里心つけて、お家、帰んなさいな。 男  お駄賃って…(くんくん)…おい、これ…。 女2  あ、足が足りないのは勘弁してよね。つい… 男  そうじゃなくて。これ、まだ新しいんじゃないのか? 女2  そりゃそうでしょ。今日おろしたばっかのヤツだもん。 男  今日のって…ウチの実家、浜坂(はまさか)だぞ。 女2  知ってるわよ。そこから届けてんだから。キレイだったわよ、若狭湾。 男  馬鹿言え。6時間ちょっとで岐阜まで来たってのか? 女2  そんなはずないじゃない。 男  だよな…。 女2  うちら「手渡し」がモットーだから、どこにいるか分からないあんたを探 してて、こんなに「遅く」なったの。岐阜市に入るだけなら、5時間あれば お釣りがくるわよ。 男  …。 女2  もう、おかげでタイヤ、減る減る…。 男  …あんた一体、何者だ…? 女2  あたし? 女2、GTRのドア横をぽんとたたいてみせる。 黒地に荒々しく、「×」のマーク。 女2  いつでも・なんでも・どこへでも。 超特急デリバリー「クロス・チェイサー」。 男  …。 女2  ま、要は宅急便屋さんよね。ちょこっと速いけど。 男  …宅急便…。 女2  ちなみにこれ(GTR)は社用車です。「実用的」でしょ? 男  …。 女2  じゃ、確かに渡したからね。毎度、ご贔屓に〜。 女2、GTRに戻ると、性懲りもなく後輪を滑らせて方向転換し、 大垣方面へ走り去る。 男  …すっげぇ…。 男、γを起こすと、その後を追っていく…。 【B・Side@】 別空間に現れる男(男0)。 屋外。雨。 男0は雨宿りをしている。 男0、ケイタイを取り出してかける。 つながる。 男0  あ、あの…。 「留守番電話サービス」に切り替わる。 落胆する男。 男0  あの…僕です。…「ジーニス」の、いつもの席で待ってます。こん な日になんだけど、今日しかないんで…ギリギリまで待ってますから… きっと来て下さい…じゃあ…。 ケイタイを切る。 男、傘をさして歩き出す。 【A・SideA】 国道21号線沿い、「西濃運輸」配送センター。 一組の男女。 タイトスカートでドレスアップした女(女1)と、作業服の男。男は どうやら、西濃運輸の社員であるらしい。 社員はなにやら、外国語のシールがぺたぺた貼られた木箱を持ってい る。輸入物? 大きさは15×15×50(cm)くらい。 二人、何やら言い争っている。 女1  だからぁ…いいでしょ、別に。こっちから取りに来たって。 社員  そうは言いますけどね。お客様の素性がはっきりしません事には…。 女1  これ宛名本人の運転免許証。実印。印鑑証明。これだけそろってて何の問 題があるの? 社員  それは拝見しました。しかしですねぇ…。 女1  あんたらは届ける手間が省ける。私らは早く受け取れる。お互いの幸せの ためにもそうするべきだと思いません? 社員  分かりますよ。ごもっともです。 女1  じゃ、それ、ちょうだいよ。ちゃんと送料は払うから。 社員  しかし、先ほどから申しておりますように、我々にも規則が ありましてですね…。 女1  お願い、急いでんのよ。分かるでしょ?今、いるの。すぐ、いるの。分かる? 社員  分かります。ですが…。 女1  もう、誰か、上の人、呼んで!直接、話つけるから! 社員  今、来客中でして。 女1  あたしも客よ!こう見えても、社長よ。「代表取締役」よ、あたし! 着信音。 女1  、「ちょっとごめんなさい」とか言って、取る。 女1  美晴  !何やってたのよ、電源切りっぱなしで!…いいわよ、後で聞く わよ。で、今どこ…県庁前?…ふぅん…・・あたし?まだ、配送センター… うん…ん、じゃ、3分で正門前まで来て。一秒でも遅れたらシメるわよ。 女1、懐から旧式のストップウォッチを出す。 女1  時計合わせ…3…2…1…Go! 女1、ストップウォッチを入れると、咳払い一発、営業スマイルにも どって、社員の方へ向き直る。 女1  ごめんなさいね、お話中に。 社員  いえ、別に。 女1  あ、それでですね、その箱なんですけど…。 社員  ええ。 女1  とりあえずラベルの確認だけ、させてもらえません? 社員  ?・・ええ、まぁ。 社員、女1のほうへ箱を見せる。 女1  、その間に、ポケットから朱肉を出す。 女1  ワレモノ注意か…やばいかなぁ…。 社員  ? 女1  いえ、独り言です。あ…(指さし)。 社員  え?(そっちを向く) 女1  ほっ! 女、横を向いた社員のほっぺたに、ハンコをびたっと押しあてると、 ぐ〜りぐりこねる。 社員  …。 女1  (悠然と、朱肉や印鑑をポケットに納める) 社員  あの…これ(ほっぺたのハンコ)は一体…? 女1  受領印。 社員  は? 女1  だから…「確かに受け取りました」ってこと! 女1、社員の足を、ぶっささりそうなピンヒールで踏んづける。 悲鳴をあげて、のけぞる社員をよそに、女1、箱を奪って逃走。 悲鳴を聞いて、駆けつける他の社員達。 社員  達班長! 社員  俺はいい!追え!逃がすな! 社員  達ラジャー! 社員一同、追いかける。 逃げる、女1。 女1  走りにくい〜〜〜!もう「盛装して来い」何て言うから! 遠くから大人数が追ってくる雰囲気。 女1  やば…。 おまけに警報音やら、剣呑なアナウンスやら… (この脚本はフィクションです。) 女1  そこまでするか? 正門前。 女1、ちらりとストップウォッチを見る。 女1  5…4…3…来た! と、彼方から聞こえてくるイグゾースト。 けたたましいスキール音と共に、ソデから横っ飛びにぶっ飛んでくる 女2(=美晴)のGTR。 美晴  お待たせ! 女1  待ったわよ。すぐ出して! 美晴  了解ぃ! 女1がきちんと乗ったかどうかも確認せずに、パワースライド。 180°切り返すと、来た道を戻るGTR。 女1、後方を気にしている。 女1  …さすがに追っては来ないか…やれやれ。タオル、ない? 美晴  ドアのポケットに…。 女1  サンキュ(服や髪の雨を拭く)。 美晴  窓拭き用ですけど。 女1  先に言いなさいよ、そういうことは!高いのよ、これ(服)! 美晴  怒んないで下さいよ。(別のを渡す) 女1  ったく…(ひったくる)…。 美晴  大変だったみたいですね。 女1  人ごとみたいに言うんじゃないの!何やってたのよ、一体! 美晴  だからそんな、ぽんぽん言わないで下さいよ。大体、鈴鹿さんが…。 鈴鹿  「社長」 美晴  …社長が、「帰りの行程がもったいない」って、無理なスケジュール 組むからこういうことになるんじゃないですか。 鈴鹿  当然でしょ。効率よく稼いでこそプロってもんよ。 美晴  ごうつくばりなんだから…。 鈴鹿  何か言った? 美晴  いぃえぇ、別に。で、それが(木箱)が例の? 鈴鹿  そ。昨日空輸されてくるはずの荷が、気象事情で一日遅れたからって。中 味が何かは知らないんだけどね。運送会社からかっぱらって届けてくれって さ。よっぽど大事なものなのかしらね。 美晴  どうせ、ぼったんでしょ。 美晴  超特急料金、諸経費オール向こう持ち。ふっかけるだけふっかけてやった わ。ほっほっほ。 美晴  …。 鈴鹿  ただし、10時必着、成功報酬限定…大丈夫でしょうね。 美晴  名駅のホテルでしたよね?楽勝。1時間もあるんですもん。22号が少々 混んだって確実につきますよ。 鈴鹿  でも念のため急いで。 美晴  心配性なんだから。 鈴鹿  プロの慎重さってヤツよ。 美晴  はいはい。 ややスピードを上げるGTR。 夜の雨は、幾分強さを増したようだ。 【B・SideA】 ジーニス。 昼はティーラウンジ。夜はカクテルも出すようなお店。 (ちなみにここでコーヒーを飲むと、一杯900円取られます。) 落ち着いたクラシック調のBGM。 男0が入ってくる。 迎えるウエイトレス。 男0  あの…。 W  はい。 男0  待ち合わせをしているんですが…中嶋か、三浦で。 W  はぁ(首を傾げる) 男0  女性です。(容姿、年齢等)な感じの…。 W  そういったお客様は、お見えになっていませんが。 男0  そうですか…。 W  どうされますか? 男0  え?…あ、窓際の席、空いてませんか? W  はい。席はお二人分でよろしいですね? 男0  ええ。 案内するW、ついていく男。 窓の外は雨。 男0  だいぶひどいですか…雨は。 W  まだ、それほどでもないようですが。 男0  さすがにここだと、外の様子が分かりませんね。 W  (微笑)そうですね。 男0  静かだ…。 しばし、外を見つめる男。 男0  ダージリン。ファースト・フラッシュを。 W  かしこまりました。 W、去る。 静かに流れるクラシック。 じっと待つ男 【A・SideB】 美晴  ♪あっめあっめ、ふっれふっれ、かっあさっんが〜、じゃっのめっでおっ むかっえ、うっれしっいな〜っと…ね、鈴鹿さん、この歌って、「なん で雨の日に、ミシン持ってお迎えに来るんだろう」って思いませんでした? 鈴鹿  年がばれるわよ。 美晴  べっつに〜。鈴鹿さんほど、せっぱつまってませんもん。 鈴鹿  うるさいわね! 美晴  おっやまっにあ〜めっが、ふっりまっして〜、ぅあっとか〜らあっとか〜 ら、ふってぇきて〜…。 鈴鹿  …ねぇ、ちょっと、なんとかならないの? 美晴  童謡シリーズ、ダメですか?演歌にします?万能アカペラシステム志摩 美晴  が何でも歌いますよ。 鈴鹿  歌じゃ無いわよ。 美晴  インストですか?あたし乗りながらは聞かないんで、ステレオもラジオも とっぱらっちゃってんですよね。両手はふさがってるし…あ、今度ブル ースハープでも積んでおきましょうか。 鈴鹿  そうじゃなくて! 美晴  はい。 鈴鹿  なんでこんなにつまってんのよ。 美晴  さぁ…東海北陸自動車道で何かあったんじゃないですか? 鈴鹿  間に合わないじゃないの。 美晴  あたしに怒らないで下さいよ。 鈴鹿  あんた「楽勝」っつったでしょうが。 美晴  「少々混んでも大丈夫」って言ったんですよぉ。これ、「少々」って言いません。 鈴鹿  …それは何?つまり、間に合わないって事が言いたいの? 美晴  いえ、その…。 鈴鹿  つまり、何?成功報酬限定につき、ノーギャラって事が言いたいわけ? 美晴  いや、ははは…。 鈴鹿  あんた、減棒決定。 美晴  一宮に入れば変わりますよ、きっと。 鈴鹿  じゃ、一宮まで、裏道通るなりしなさいよ。 美晴  いいですけど、裏道も混んでたら、責任取れませんよ。 鈴鹿  う…。 美晴  裏道が裏道なのには、ちゃんと理由があるんです。車線が少なかったり、 信号が多かったり。で、結局は遠回りになるから、「裏道」なんです。多分 いずれは22号に戻ってくることになるんだし、へタに回り込むより、今の 位置をキープした方がいいと思いますけど? 鈴鹿  …。 美晴  大体、これだけ車がいて、「裏道、行こうかな」って考える人がいないと 思います? 鈴鹿  …こざかしい事言うじゃない。 美晴  えっへん。 鈴鹿  美晴  のくせに、生意気な。 美晴  あ、ジャイアニズムですね。 鈴鹿  (そっぽ向く) 美晴  こう言うとき、ボタン押したら、飛行機に変形して、飛んで行けたらいい ですね。「しゃき〜ん」とかゆって。あはは。 鈴鹿  (返事がない。考え事をしている。) 美晴  〜〜〜…ま、なんとかなりますよ。 間。 美晴  …よく降るなぁ…。 鈴鹿  …。 美晴  これ(服)、やっぱクリーニング出さないとダメかなぁ。 鈴鹿  …。 美晴  届け先がホテルだからって、ここまで凝らなくてもいいと思いません? 鈴鹿  …。 美晴  クライアントって、やっぱお金もちなんですよねぇ。 鈴鹿  …。 美晴  クリーニング代、必要経費にしてくんないかなぁ…。 鈴鹿  …。 美晴  〜〜〜〜〜。 鈴鹿、全然取り合わない。 こうなると居心地悪いのが、渋滞中の車の中。 まさに動く密室。 しかたなく雨がらみの歌を鼻歌で歌う美晴。 鈴鹿  ね、美晴  …。 前が空く。 サイドをおろし、アクセルを踏む美晴。 乱暴に前に出、ぶつかったように止まるGTR。 つんのめる鈴鹿。 鈴鹿  うぉっ…っと、もうちょっと静かに出せないの? 美晴  だってぇ。 鈴鹿  「だって」じゃない!ワレモノ積んでるのよ、気をつけなさいよ! 美晴  ゆっくり走るのって、苦手なんですよ。 鈴鹿  …ったく。 美晴  で、何ですか? 鈴鹿  え?あぁ…ね、最寄りの駅って言うと、どこになる? 美晴  駅?…そうですね。JRなら木曽川駅、名鉄なら、黒田か新木曽川か ってとこですね。 鈴鹿  そっち、行ってみて。 美晴  え? 鈴鹿  鉄道輸送に切り替えるわ。その方が確実だと思う。 美晴  まぁ、そうしろって言うんなら、そうしますけど。 鈴鹿  ちょっとまって…(ポケット時刻表を出して)…自由席特急は止ま らないから…新木曽川から20分の快速で…うん、OK間に合う。 美晴  じゃ、名鉄新木曽川駅ですね。 鈴鹿  そ。 美晴  でも、鈴鹿さん。 鈴鹿  何よ。 美晴  駅までの道も混んでたら…。 鈴鹿  賭になるのは承知の上よ。でも決めたの。社長命令!新木曽川まで20分必着! 美晴  了解! 美晴、グローブをはめ直すと… 美晴  うりゃ! ためらいもなく、ぐーでクラクションを押し込む。 鈴鹿  ! けたたましいクラクション。 前の車がわずかに動く。 GTR、急発進。 鈴鹿  ちょっ…ぶつかる! 前の車のリア寸前で、つんのめるように止まるGTR。 続いて、ギアをRに入れると、後ろの車のノーズぎりぎりに寄せる。 美晴  大丈夫です。ゆっくり走るのは苦手ですけど、つんのめるのと、ひん曲が るのと、つっ走るのは得意ですから。 鈴鹿  あんたね…。 美晴  そ〜れ、もういっちょ! 美晴、わずかのすき間で、急な前進・後退を繰り返し、少しずつすき 間をこじ開ける。 鈴鹿  …むちゃくちゃやるわね。 美晴  そうですか?大抵どいてくれますよ。 鈴鹿  そら、相手が黒のGTRなら、大抵そうでしょうよ…。 美晴  よっしゃ、空いたぁ!行けぇい! 右折車線に強引に割り込むと、タイヤ鳴らして22号を右折。 一路、名鉄新木曽川駅へ。 【B・sideB】 ティーカップ片手に、待つ男0。 W、寄ってくる。 W  よろしければ、淹れ直しましょうか? 男0  え?…あ、いや、結構。 W  失礼しました。 一礼して、去りかけるW。 男0  …あの。 W  はい? 男0  他にお客がいないようなんですけど。 W  ええ。 男0  ひょっとして…今日はもう閉店でしたか? W  特にそういうわけでもないですけど、なにしろこんな日ですから。 男0  そうですか…。 W  お泊まりですか? 男0  いえ。 W  あら。じゃ、帰りの交通手段、大丈夫ですか?タクシーも混雑してるみた いですけど。 男0  ええ。分かっていますけれど…。 W  ? 男0  どうしても、今日会いたい人がいるんです。明日には日本を発たなきゃならないんで。 W  そうですか。でも…相手の方も、お見えにならないかも知れませんよ。 男0  …。 W  あ、いえ、その…お見えに「なれない」って言うべきでした。 男0  いえ、いいんです。ただ…。 W? 男0  待ちたいんですよ。 W  …。 男0  …すいません。 W  いえ。時間はまだありますから。ごゆっくりどうぞ。 去りかける、W。 男0  あの…。 W    はい? 男0  他のお客が来るまででかまわないんですが…ラジオを貸してもらえませんか? W  かしこまりました。 去る、W。 ほどなく、小さなラジオを持って現れる。 スイッチを入れる男。 女アナ  名古屋駅からお伝えしています。先ほどより、雨粒が大きくなったような 印象を受けます。…え、先ほど名古屋市全域に大雨洪水警報が発令され た事を受け、名古屋市でも警察と消防署が出動し、市民のみなさんに注意を 呼びかけています。万一に備え、外出は極力控えてもらいたいとのことです。 男0、両手でラジオを持ち、祈るように、口元にあてる…・。 【A・SideC】 名鉄新木曽川駅にて、↑同じ内容の放送を聞く美晴。 美晴  …え?ちょっと、それ、どーゆうことですか?…え?だって、聞 いてませんよ、そんなこと…は?…朝からニュースでずっとやって る?…だって、あたし、朝からずっと車にいたんだもん。…ねぇ、 ちょっとそれはないんじゃないの?だって、20分必着って言うから、せっ かく間に合わせたのに…ねえ、ちょっと聞いてる?駅員さぁん! さて、そのころ、 ハザード出して停車中のGTR。 車内には、鈴鹿一人。 ケイタイをかけている。 鈴鹿  ……あぁ、そりゃそうでしょ…・え?だって、あれだけふっかけたのに 「その条件でいい」って言うのよ。よほどの根性でなきゃ、言えないわよ、普通。 …いいわよ、OK。計算のウチよ、このくらいは。…うん。ま、何とかするわ。 …クライアントに伝えておいて。「いつでも・何でも・どこへでも。ご依頼の品は、 クロス・チェイサーが必ずお届けします」って…うん。じゃ、また連絡して。 ケイタイ切る。 そこへ戻ってくる、美晴。 「大変、大変」とか、言いつつ大慌てでドアを開ける。 美晴  星亜(せいあ)さんからですか? 鈴鹿  そ。で? 美晴  ひょっとして、非常時につき依頼はキャンセルとか、そういう…。 鈴鹿  残念でした。クライアントはもう、来てるって。 美晴  え〜。 鈴鹿  え〜じゃないわよ。 美晴  それ、もう一回連絡して、断れません? 鈴鹿  無理よ。って言うか、イヤよ。「必ず届けます」って言っちゃったもの。 美晴  そんなこと、言っちゃったんですか?が〜ん。 鈴鹿  何よ。 美晴  あのですね…よく聞いて下さいよ。 鈴鹿  何。 美晴  電車は動きません。全線不通です。 鈴鹿  え? 美晴  名古屋本線も犬山線もダメ。JRも上り下りどっちもアウト。 鈴鹿  ? 美晴  台風4号ですよ!予定より早く来ちゃってるんです。それも、すっごいで っかいの。湾岸と川沿いは、もう避難勧告まで出てるって。交通事情はもう、 ズタズタですよ! 間。 鈴鹿  …で? 美晴  で…って…え、鈴鹿さん、知ってたんですか? 鈴鹿  当たり前でしょ。朝からニュース、そればっかだったもの。 美晴  え、ひょっとして、知らなかったの、あたしだけ?がび〜ん。 鈴鹿  だから、急いでって言ったでしょうか。 美晴  そんなこと…だって、今日の朝にはまだ日本海にいたんですよ、あたし。 向こうは晴れてたんだもの。 鈴鹿  そりゃそうでしょ。 美晴  ちょっと、…落ち着かないで下さいよ。どうするんですか、依頼は! 鈴鹿  あんた、ドライバーでしょうか。何かアイディアないの?。 美晴  無理ですよぉ。道がないんじゃ、走りようがないじゃないですか。 鈴鹿  …「道がない」? 美晴  高速道路も全線封鎖されたそうです。 鈴鹿  …マジ? 美晴  東海北陸、名神、東名阪、三本とも全部乗り入れ禁止。あおり喰らって2 2号は大渋滞。路線バスもカン詰め状態だそうです。 鈴鹿  思ったより、動きが早いわね。 美晴  一昨年の例がありますから、対応が早いって駅員さんが…。 鈴鹿  …。 美晴  …どうしましょう…。 鈴鹿  …。 美晴  …ねぇ、鈴鹿さぁん! 鈴鹿  うるさいわね、ちょっと黙ってて! 間。 美晴  …キャンセルしちゃいましょうよ。ね、いくらなんでも、これは不可 抗力ですよ。 鈴鹿  …。 美晴  何も、エロオヤジの悪趣味につき合うことないじゃないですか。 鈴鹿  …は? 美晴  女にわざわざ盛装させて、ホテルまで荷を届けさせようなんてのに、つき 合うことないですよ。 鈴鹿  …何か、あんた、激しく勘違いしてない? 美晴  そんなことないですよ。「マリオ」って駅西のきったないホテルでしょ? 鈴鹿  …使ったことあるんだ。 美晴  いや、それはその…。 鈴鹿  ていっ(馬場ちょっぷ)! 美晴  !いたぁっ! 鈴鹿  アホかい。 美晴  …は? 鈴鹿  「マリオ」じゃなくて、「マリオット」。届け先は「マリオット・アソシア・ホテル」よ。 間。 美晴  え? 鈴鹿  何が駅西のラブホテルじゃ。 美晴  だって…。 鈴鹿  プロでしょ。届け先の確認くらいしときなさいよ。 美晴  だって、だって。アソシアならアソシアって言えばいいじゃないですか。 鈴鹿  アソシアは別にあるでしょうが、松坂屋ビルに昔っから。新しく「マリオ ット・アソシア」ってのが出来たから、「マリオット」ってぇの。 美晴  新しくって言うと…まさか…。 鈴鹿  そう。タワーズのかたっぽ。届け先は、その最上階、スカイラウンジ 「ジーニス」。 美晴  …。 鈴鹿  地上245m、東山スカイタワーの倍もあろうかっていう摩天楼の てっぺんが最終ゴールよ。 南の方を向く二人。 この角度からだと、いつもなら重なって一本見えるツインタワーが、 雨にかくされて見えない。 その視線の先の先で、祈るように待つ男0。 しばし交わる2つのシーン。 鈴鹿  遠いわね…直線距離なら、たかだか20kmなのに…。 男0  来てはくれないのか…やはり…。 時同じくしてうつむく、別空間の二人。 思い出したように響くハザードの音。 かっちんかっちんと鳴る音は、秒読みに似て…。 そして。 鈴鹿・男  でも…。 あきらめるには、まだ早い。 そう、夜はまだ、始まったばかりなのだから! 鈴鹿  もし宿泊客なら、この混乱も分からないかも知れない。なにしろ向こうは 下界とは別世界だからね。 美晴  …。 鈴鹿  だとしたら…交通事情のことはタダのイイワケだわ。 美晴  鈴鹿  さん…。 鈴鹿  美晴、車、出して。届けるわよ。いつでも・なんでも・どこへでも。 どんな手段を使っても! 美晴  でも…。 鈴鹿  別に渋滞に突っ込めってんじゃないわよ。他の方法でいくわ。こうなりゃ 総力戦よ。 美晴  …。 鈴鹿  まずはマシン・チェンジね。いくらGTRが速いたって、この状況じゃ意 味がない。 美晴  え、いや、でも…。 鈴鹿  いいから出す! 美晴  はい! 鈴鹿  ナビするわ。行き先は一宮市今伊勢町。「中条モータース」。 美晴  了解!(ベルトを締める) 鈴鹿  覚悟なさいよ。 美晴  ? 鈴鹿  お楽しみは、これからだ! ハザードを消し、イグニッションをひねる美晴。 息を吹き返すエンジン。 GTRは裏道を、更に南へ。 【B・SideC】 男0  、冷めた紅茶を一息で飲み干すと、おもむろにケイタイを取り出す。 男0  …つながってくれ…頼む!。 待つこと、数コール。と…。 男0  !…え? ケイタイ、つながる。 男0  …もしもし?…はい。僕です。信じられない。ホントにつながるなんて…。 しばしの、放心…。 男0  …あ、すいません。はい…はい…え?…ええ。ジーニスにいますけど…え? 男、もの言いたげにWを見る。 W  ?何か? 男0  いえ…あの。 W  はい。 男0  今日、開店してますよね。 W  ? 男0  いや、その…連れが、下まで来てるんですが、エレベーターの所に、 「本日のスカイラウンジのご利用はご遠慮下さい」って看板が… W  あら。 男0  (電話の方へ)もしもし?…ええ。今、従業員の人と話してるところで す…いや、いるんですよ。目の前に…。 W  あの。 男0  ?はい。 W  「どうぞ、いらして下さい」、って伝えてもらえません? 男0  え、でも。 W  看板のことは、無視して下さってかまいませんわ。 男0  はぁ。 問答無用のスマイルを浮かべる、W。 男0  もしもし…あの、来てくれていいですから…いや、でも従業員の 人かそう言うんですから…はい…ええ。じゃあ。 ケイタイ、切れる。 男0  …ホントにいいんですか? W  ええ。 男0  でも、ずっと気になってたんですが、他にお客さんが見えないみたいです けど。それに従業員の方もあなた以外…。 W  こんな日ですから。 男0  …そういうもんですか? W  どうぞお気になさらず。お客様のニーズに精一杯お答えするのが、サービ スの鉄則です。お一人でもお客様が見えるのなら、出来る限りのことはさせ ていただきますわ。 男0  はぁ。 W  お連れの方は、コーヒーと紅茶、どちらがお好みでしょう? 男0  え?…あ、コーヒーだと思います。薄めの…。 W  じゃ、準備しておきますね。 男0  あの…。 W  ご心配なく。お代は結構です。エレベーターのことでご迷惑をおかけした お詫びですから。こう見えても、コーヒーと紅茶の淹れ方には、自信がある んですよ。 男0  …え? W  では、失礼します。 W、会釈。 男0  いや、あの。あなたが淹れるんですか? W  、かまわず去る。 男0  …なんなんだ、一体…。 【A・SideD=1】 一宮市今伊勢町。「中条モータース」 当然、店はシャッターが閉まり、看板の電灯も消えている。 立地が悪いのか、暗い周辺。 風鳴りがうなる中、シャッターをたたく音がガンガン響く。 美晴  ちょっと、鈴鹿さん。閉店してるんですから…。 鈴鹿  いいのよ。知ってる店なんだから。 容赦なく、ガンガンたたく音。 ガンガン、ガンガン…。 男2  うるせぇ! 声に遅れて、開くシャッター。 現れたのは、油で汚れた作業着を着た男2。 男2  そこに、「本日閉店」って書いてあるだろうが!文字読めねぇのか、てめぇは! 男2  、鈴鹿を見て…。 男2  !…お前…。 鈴鹿  …。 男2  …何の用だ。よりによって、こんな日に…。 鈴鹿  客よ。決まってるでしょ。 男2  …。 鈴鹿  それとも何?ここ、モーターショップじゃないワケ? 男2  本日閉店だ。帰んな。 鈴鹿  ずいぶんと販売意欲の薄い店ね。 男2  やかましい!とっとと帰れ! 鈴鹿  「客だ」って言ってるの。プロでしょ?それ相応の対応してみせなさいよ。 男2  …。 鈴鹿  …入るわよ。 「中条モータース」店内。 続いて美晴も雰囲気に気後れしながら入る。 「工場」といった雰囲気。 鈴鹿  …あいかわらず、とっちらかしてるわね。 男2  大きなお世話だ。 鈴鹿  まぁ、そうだけどね。 男2  で? 鈴鹿  ? 男2  何がいるんだ。早く言え。 鈴鹿  あたしのマシン。 男2  ・美! 間。 鈴鹿  …あるんでしょ?ごまかしたってダメよ。あんたのことだもの。すぐ 走れるようになってるはず。 男2  …。 鈴鹿  言い値で買い取るわ。出して。 間。 美晴  あの…鈴鹿  さん、ひょっとして、免許持ってたんですか? 鈴鹿  …。 美晴  え〜、うそ、ずっる〜い。あたしにばっか運転させて!免許持ってないと 思ってたから、あたし…。 男2  持ってねぇ。 美晴  …え? 男2  持ってねぇよ。今は。 美晴  …「今は」? 男2  取っても、検査でひっかかる。左目の視力が無ぇからな。 美晴  ! 鈴鹿  …。 間。 男2  あの日も、ちょうど雨だったな。人の忠告無視して、ノーマルタイヤで無 理しやがって。周回遅れのマシンと接触。バイザーの破片で目をやられて、 レースはリタイヤ。ライセンスは剥奪…。 鈴鹿  …。 男2  こいつはなぁ、ねぇちゃん…かつてインディースのレースで向かうと ころ敵なし。「タイトコーナーの魔女」とまで言われた女なんだよ。 鈴鹿  昔話をしに来たんじゃないわ。客だと思ってナメてると、シメるわよ。 男2  …。 鈴鹿  で?…売るの、売らないの?はっきりしてくれない?もとチーム「ク ロス・チェイサー」チーフ・メカニック、中条敦。 中条  …。 間。 中条  …あのマシンはもう無ぇよ。 鈴鹿  ウソ。 中条  無ぇ!あれは人の乗るモノじゃねぇ。 鈴鹿  あたしは乗ったわ。 中条  そして、無事では帰らなかった。 鈴鹿  …。 中条  マシンは無ぇ。あってもお前には売らねぇ。帰んな。 中条、去りかける。 鈴鹿  どうしても、いるのよ! 中条、立ち止まる。 鈴鹿  あたし達が行くのを、待っている人がいるかも知れないの。 中条  …なんだそりゃ。 鈴鹿  依頼を受けているのよ。名古屋駅に10時につかなきゃいけないの。 中条  こんな日にか。 鈴鹿  こんな日によ。 中条  …。 鈴鹿  あのころとは違うわ。走るために走ってるんじゃない。行かなきゃならな いワケがあるのよ。 中条  …。 鈴鹿  今度はコケやしないわ。無事に届けてみせる。いつでも・何でも・どこへ でも。有限会社「クロス・チェイサー」の名にかけて、依頼は遂行してみせる。 中条  …。 鈴鹿  お願い。 中条  …。 鈴鹿  …今さらあんたに頼りたくはないけど、他にあてがないのよ。だから 「お願い」。あたしのマシン、出して。 中条  …。 中条、ふと去ると、すぐに戻ってきて、 中条  (キーを投げる。) 鈴鹿  !(キャッチ)。 中条  裏のガレージ…3番だ。取ってこい。 鈴鹿  …。 鈴鹿、去る。 美晴  「取ってこい」? 中条  ? 美晴  取ってこいって…え?ここに入っちゃうんですか?随分、ちっちゃい 車なんですね。なんだろ。ロードスターとか?あとは…まさかスバル3 60とか?あ、フィアットだったら嬉しいな。「まぁくるぞぉ」とかゆって。 中条  ねぇちゃん、何にも聞いてないんだな。 美晴  ? と、鈴鹿が、雨に濡れないよう、カバーつきのまま引いて来たのは…。 美晴  …え? スタンドを立て、カバーを一気にはぐ、中条。 下から現れたのは、真紅のアイアンホース。 美晴  …オートバイ? 近寄って、しげしげと見る美晴。 美晴  すっご〜い…でっか〜い…う〜わ、真っ赤っか…(タンク部を見て)…ど…でゅ? 鈴鹿  「ドゥカティ」 美晴  ? 鈴鹿  ドゥカティ900SS改。イタリアの生んだ、鋼鉄のスタリオン。 美晴  イタリア?うっそだぁ。 鈴鹿  …何がよ。 美晴  イタリア人はフェラーリにしか乗らないんですよ。(えっへん)。 鈴・中〜〜〜(へなへなへな)。 中条  お前、よくこんなんと組んでやってるな。 鈴鹿  今、あたしもそう思ったところ。 美晴  え?あたし、何か変なこと言いました? 鈴鹿  いいから。分からない人は、ちょっと黙ってて。 中条  お前もな。 鈴鹿  え? 中条  言ったはずだ。あの時のマシンはもう無いってな。 鈴鹿  …。 中条  あのころのままじゃねぇ。こいつはすでに別物だ! 中条、キック一発、エンジンをかける。 ヘッドライトに灯がともり、強大なポテンシャルを秘めたエンジンが のっそりと目を覚ます。 Mと共に、重低音で響きわたる、イグゾースト。 鈴鹿  …これは…。 中条  900SSのフレームをベースに、最大の欠点だった低回転での安定性を 徹底的に追究!あらゆる回転域で十二分にパワーを発揮できる、オールラウ ンドモデル!その名も! 「ドゥカティ900X=esp.(エスプレシーボ)」! 美晴  え?…何?… 中条、アクセルに手をかけ、 中条  4ストロークのビートに乗せて…歌え!情熱のカサノヴァ! アップする回転数と共に、高らかに吹け上がるイグゾースト。 鈴鹿  これは!(以下、マニアックなセリフが長々と…) 中条  (同じく) 美晴  ダメだ…遠すぎるわ、この人達…。 …と。 女ちょっと! 一同! 静まる場。 現れたのは、部屋着の女。 女  店の中では、エンジンかけないでって言ってるでしょ!起きちゃうじゃな い、せっかく寝かしつけたのに! 中条  お…おぉ…。 女  !…誰(鈴鹿達)? 中条  …客だ。 女  何、閉店してるんじゃなかったの? 中条  その…なじみの客なんだよ。 女  …ふぅん。 女、疑わしげな目。 そら、そうだ。 どう見てもバイクを買いに来た客には見えない。 女  …手短にしてよ。それから、トイレの雨漏り…。 中条  やっとくよ! と、店の奥から、赤ちゃんの泣く声…。 女  …あぁ、あぁ、もう…。 ぱたぱたと走っていく女。 中条  …。 鈴鹿  …。 宙をさまよう二人の視線。 美晴  …あぁ…え〜っと…そのぉ…。 そらもう、凄まじく気まずい間。 鈴鹿  …行くわよ、美晴。 美晴  あ、はい。 中条  おい。 鈴鹿  何。 中条  そのなりで行くのか? 鈴鹿  悪い? 中条  ツナギ貸してやる。着替えて行け。 鈴鹿  いらない。急ぐから。 中条  おいおい。だって、お前、それじゃ、シートも跨げないだろ…。 鈴鹿、しゃがみ込むと、タイトスカートのスリットを一気に引き裂い て見せる。 中・美! 鈴鹿、ピンヒールをぽいぽいと脱ぎ捨て、 鈴鹿  …文句ある? 中条  …ある。 鈴鹿  何よ。 中条  いい年して、足、出すな。 鈴鹿  うるさいわね! 中条  それにな。ドカのクラッチが裸足でつなげるかよ。 鈴鹿  …。 中条  せめて、メットとブーツはつけて行け。あと、雨合羽と…。 鈴鹿  要らないって言ってるでしょ! 中条  行かなきゃならないのには、ワケがあるんだろう! 鈴鹿  っ!…。 中条  裏のガレージにあったやつなら、どれでもいい。もらっていけ。返さなくていい。 鈴鹿  …礼は言わないわよ。 中条  …。 去る、二人。 一人残る、中条。 中条  …くそったれ…。 間。 ガレージは、ひどくガランとして見える。 と、奥から聞こえてくる、赤ちゃんの泣き声。 女  (声)ねぇ、ちょっと!…ちょっと、手ぇ貸して! 中条  行くよ!…ったく、どいつもこいつも…。 中条、去りかける。 と。 店の外で、バイクが止まる音。 中条  ? 男が一人、入ってくる。 冒頭のメット男。 メット男  あの…。 中条  今日はもう閉店だ。帰んな。 メット男  いや、そうじゃなくて。 中条  何だ!用があるなら、さっさと言え! メット男  !いや…その…。 中条  あぁ? メット男  お…表のGTRは、こちらのものでしたしょうか? 中条  GTR? メット男  黒の。あの、横にxのマーキングの入った…。 中条  …何だお前…鈴鹿の仲間か。 メット男  鈴鹿  ?…あ、鈴鹿って言うんだ。はぁん。そうか、鈴鹿かぁ…。 にやける、メット男。 中条  …。 メット男  あ。…いや、その。 中条  お前な。 メット男  ? 中条  イカ臭いぞ。 メット男  うるさいな!実家がイカ漁やってんだから、しょうがないだろ! 中条  イカ漁…。 メット男  カッコ悪ぃ、とか思ったんだろ。ふ。甘いな。「青臭い走り屋」より、カ ッコいいんだぜ。 中条  ちょっと来い。 メット男  え? 中条  いいから、来い! 中条  、メット男をどこかへ引っ張っていく…。 【A・SideD=2】 屋外。 中条  モータース前。 雨はもちろん、風もかなり強くなってきている。 やかましいほどの、風鳴り。 バイクを引いて来て、乗る準備をする鈴鹿と美晴。 せっかくのドレスアップなのに、手にはグローブ、足にはブーツ。 ダッサダサの雨合羽。 セットした髪はオープンフェイスのヘルメットの下でぺっちゃんこ。 二人、風鳴りにまけないよう、大声になっている。 美晴  うっわぁ、ひっどい雨…ね、鈴鹿さん、ホントにバイクで行くんですか? 鈴鹿  他に方法があるなら、聞くけど? 美晴  だって…せっかくおめかししてきたのに、これじゃ台無しじゃないで すか?べったべたになっちゃったら、ホテルだって入れてくれないんじゃないです? 鈴鹿  その可能性も考えなかった訳じゃないけどね。 美晴  はぁ。 鈴鹿  まずはとにかく、届けるのよ。全てはそれから。 美晴  そんなんで、なんとかなるんですか? 鈴鹿  ならないわよ。 美晴  は? 鈴鹿  ならないわよ。だから、なんとか「する」の。 またがる鈴鹿。 鈴鹿  ま、基本的にあたしがなんとかするから。あんたはとにかく、荷をしっか り持ってて。ワレモノだから、落っことしたら最後よ。 美晴  はぁ…。 鈴鹿  それから、あたしの体重移動に逆らわないこと。自転車に乗る要領で、自 然に体、傾けて。 美晴  鈴鹿  さんの方は大丈夫なんですか? 鈴鹿  大丈夫じゃないわよ。片目だから、遠近感、全然わかんない。 美晴  ちょ、ちょっと…。 鈴鹿  かまやしないわ。どうせ雨で視界悪いんだし、どっちみちカンが勝負よ。 美晴  …。 鈴鹿  だからこそ、一瞬の判断が必要なの。お願いだから、ついてきてよ。びび って体起こすと、ひっくり返るわよ。 美晴  はぁ。 鈴鹿  ほら。乗んなさいよ。 おっかなびっくりまたがる美晴。 鈴鹿  ここに手をかけて。ほら、しっかり握る! 美晴  はい。 鈴鹿  それから、こっちのポケットにケイタイ入れておくから。星亜から連絡が あったら、出て。 美晴  え?え〜っと…(手を離さずに、どうせよと言うんだろう?) 鈴鹿  、ケイタイのモード(?)を調節。 美晴  あの、鈴鹿さん。 鈴鹿  何。 美晴  あたし、さっきから考えてたんですけど…バイクが、車より渋滞に強いっ てのは分かるんですけど…こんなに大きいバイクじゃ、意味無いんじゃない ですか?22号は多分、ガッチガチですよ。自転車だってすり抜けれるかどうか…。 鈴鹿  でしょうね。 美晴  どうするんです? 鈴鹿  別に。22号を通るわよ。 美晴  え、でも…。 鈴鹿  あんたが言ったんでしょうが。裏道は結局は遠回りだって。 美晴  でもでも。 鈴鹿  よく考えなさいよ。22号はちゃんと空いてるでしょうが。「半分」は。 美晴  半分…? 鈴鹿、グローブを締め直すと、イグニッションをかける。 美晴  あ、何か分かっちゃったかも…。 鈴鹿  そ。おめでとう。 美晴  あ、あたし、降りてもいいですか? 鈴鹿  もう遅いわよ。 美晴  え、あの、心の準備というかですね…。 スロットルを開ける鈴鹿。 鈴鹿  行けぇい! 腰から下が持って行かれるような急加速。 真紅のドゥカティは、「ガッチガチ」の22号を目指して発進! ドップラー効果と共に遠のく、排気音と美晴の悲鳴。 【B・SideD】 W  お連れの方、いらっしゃいましたよ。 男0  え? W、ビジネススーツの女(女0)を連れて登場。 男0  !久美子さん。 女、辺りをきょろきょろ見ながら…。 女0  …いいの? 男0  …らしいですよ。 女0  …ふぅん。 W、コーヒーを持って W  どうぞ。 女0  え? W  エレベーターの件では失礼しました。これは、ホンのお詫びです。 女0  あぁ…そう…(くんくん)…あら、いい匂い…。 W  よろしければ、コート、お預かりしましょうか。 女0  え?あぁ、いいの、いいの。 コートは、随分濡れている。 W  雨、随分ひどくなったみたいですね。タオル、お持ちしましょうか? 女0  ああ、気にしないで。あたしは濡れてないから…。 W、かまわず去る。 二人きりになる、男と久美子。 女0  …なんか。 男0  ? 女0  落ち着かないわね。 男0  すいません。 女0  やぁね。そう言う意味じゃないって。 男0  はぁ。 女0  …へぇえ。上から見ると、こんなカンジなのねぇ。 身を乗り出して、下を見下ろす女。 男0  ? 女0  あぁ、ゴメン。さっきまで、下にいたのよ、あたし。 男0  下って? 女0  真下。すぐそこ。仕事だったのよ。 男0  え?でも、今日は…。 女0  うん。ホントはオフだったんだけどね。ま、こんな日だから、そういうこ ともあるわよ。 男0  じゃあ、電話した時って…。 女0  うん、仕事中。急にぶるぶる来たから、びっくりして、とちっちゃって。 男0  す、すいません! 女0  あはは。冗談よ。仕事中は放しておくに決まってるでしょ。 男0  なんだ。 女0  悪かったね、待たせて。 男0  いえ…。 奇妙な間。 男0  あの…とりあえず、座りませんか? 女0  あ、うん…でも…。 男0  ? 女0  来た早々で悪いんだけどさ…長居できないのよ。 男、大ショックってカンジ 男0  …え? 女0  いや、ちょうど近かったからさ、抜けてきたんだけど。すぐ戻らないと。 男0  そんな。 女0  だって、こんな日だしさ。上の判断で、どう予定が変更されるか分からな いし。そうなった時に、穴、空けるわけにもいかないし。動ける人間は、極 力待機してないと。 男0  いや…でも。 女0  他の日じゃダメかなぁ。 男0  …それが…僕、もう、明日には発たなきゃならないんです。 女0  じゃ、来週とかにしない? 男0  グダニスクに行くんです。 女0  え? 男0  グダニスク。ポーランドです。ケーニヒスベルグの南。 女0  …はぁん。 男0  なんか、トラブルがあったみたいで。メールじゃらちあかないし、自分で 行かないと…ワンマン会社だから。 女0  そう。 男0  多分、もろもろの決着がつくまで、2ヶ月くらいはかかると思うんです。 手間取れば半年くらいはかかるかも…。 女0  …大変ねぇ。 男0  仕事ですから。 女0  …そうよねぇ。 男0  あの、だから…。 女0  じゃあ、あたしも「仕事」だから…。 男0  ! 女0  …って言ったらゆるしてくれる? 間。 女0  ゴメン。ずるい言い方ね。でも、急な変更だし、この後も何かあるかも知 れないし。なるべく現場離れたくないのよ。 男0  …。 女0  ゴメンね。今度、きっと埋め合わせするから。 男0  あの…10時まで。あと30分だけ、時間くれませんか。 女0  あたしとしても、そうしたいのはやまやまなんだけどさ。気になっちゃっ て、落ち着かないのよ。大事な話なんでしょ? 男0  えぇ…まぁ。 女0  じゃあ、しきりなおしましょ。ね。 男0  いや、あの…でも。 と。 W、タオルを持って登場。 W  あら。お帰りですか? 女0  まぁね。ゴメンね。コーヒー、せっかく淹れてくれたのに、飲めないわ。 W  そうですか。残念です。 女0  お代は払うから。 W  いえ。代金は結構です。ただ…。 女0  ? W  失礼ですが、このままお帰りいただくワケにはいきませんわ。 間。 女0  …は? W  (営業スマイル) 女0  ちょっと、あんた…なんの権利で、それ言ってるの? W  それが私の仕事ですから。 女0  ! W  …って言ったら、分かっていただけます? 女0  …? W  お客様のニーズに、精一杯お応えするのが、サービス業の鉄則です。今、 ウチの社長が、精一杯がんばってるところなんです。受け取っていただくま では、お付き合いいただけません? 男0  あの…あなた、一体…? W、胸ポケットから、名詞を出してみせる。 二本の指に挟まれたオフホワイトのカードには、左端に「X」のマー キング。 W  有限会社「X・チェイサー」後方支援担当、藍本星亜と申します。 二人(唖然)。 星亜  あと30分もあるんですし、せっかくですから、コーヒー飲んで行ってく ださいな。こう見えても、コーヒーと紅茶の淹れ方には自信があるんですよ。 伊達でお茶汲みやってるんじゃありませんもの。 二人…。 二人、席に戻る。 星亜、少し離れてケイタイ。 営業モードを離れ、普段の星亜に。 星亜  もしもし…あ、社長?ちょっとヤバイ雰囲気ですよ。時間厳守ってカ ンジになっちゃってます。今どの辺です?…社長?もしもし? 【A・SideE】 美晴の声  …・ぁぁぁぁああああああ! ケイタイを通して響く、美晴  の絶叫。 膝をするくらい深く車体を倒し、 ソデからぶっ飛んでくるドカ900。 鈴鹿  叫んでないで、早く応答しなさいよ!星亜の耳がぶっ壊れるわよ! 美晴  だって、だって、だって。 星(電話)  (美晴なの?) 美晴  星亜さぁん。 星亜  (何…今、どの辺?) 美晴  今ですか?今、名神の下をくぐ… 超スピードで後ろへ流れるオレンジ灯。 美晴  …り終わったところです。 星亜  (え?22号混んでるんでしょ?一体どういうスピード?) 美晴  どういうって、もう、どういうもこういうも…あ〜〜〜! ドカ900、最小限の鋭い車線変更で、「何か」をかわす。 星亜  (ちょっと…何、一体どこ走ってるの?) 美晴  22号です。 星亜  (22号は渋滞でしょうが!) 美晴  渋滞してない側を走ってるんですよぉ! 間。 星亜  (まさか…あんたら、反対車線、逆走してるんじゃないでしょうね!) 美晴  そのまさかです…って、鈴鹿さん、鈴鹿さん、鈴鹿さぁん! 鈴鹿、再び車線変更。 ドカのすぐ横を走り抜ける乗用車。 美晴  (悲鳴)あ〜〜!…みゃ〜〜!…にゃ〜〜! 鈴鹿  やかましい! 美晴  ふえぇぇぇぇん。もう、お家に帰るぅ。 鈴鹿  いい年して、カマトトぶってんじゃない!来たわよ! 美晴  ぎゃ〜〜! 真っ正面から迫り来る、大型トレーラー。 右側へかわす、鈴鹿のドカ。 しかし、カウンターをあてたところで、雨で後輪が外へと滑る。 美晴  ひっ…! 鈴鹿  (舌打ち)! トレーラー側に向かって倒れ込むドカ。 鈴鹿  …んなろ、コケんな! 全身で勢いをつけ、強引に車体を立てる鈴鹿。 左耳の真横を、轟音立てて通過する、トレーラーの巨大な重連ホイール。 遅れて、襲いかかる水しぶき。 鈴鹿、奥歯を噛みしめると、ハーフカウルのキャノピー内に身を伏せ、 一気に駆け抜ける。 鈴鹿  大丈夫よね! 美晴  確実に3年は寿命、縮みました…。 鈴鹿  あんたじゃない、荷の方! 美晴  うえぇぇん。 鈴鹿  泣くなぁ! 美晴  だって、だって、だって! 鈴鹿  怖いと思うから怖いのよ。怖くないと思えば、怖くないでしょう! 美晴  そんな、むちゃくちゃな! 鈴鹿  体が外に露出してるから、車より速そうに思うだけよ!相対速度でも20 0キロ出てないわよ。あんたのGTRに比べたら、屁でもないでしょうが! 美晴  でもぉ…。 鈴鹿  冷静に考えるの!理性で恐怖を駆逐すれば、活路は開ける! 美晴  (挙手!)はい、社長! 鈴鹿  はい、美晴君! 美晴  冷静に考えたんですけど…車は4輪、バイクは2輪。路面との摩擦効 果を考えたら、バイクは車の半分と考えていいですか? 間。 鈴鹿  そうとも言う! 美晴  いや〜〜〜! 鈴鹿  やかましい!そんなもん、気合いでどうにでもなる!屁理屈こねるな! 美晴  さっきと言ってることが違うぅ! 鈴鹿  来たわよ! 美晴  うわぁ!鈴鹿さん、鈴鹿さん、鈴鹿さぁん! 何台か続けて来る車を、連続でかわす、鈴鹿。 美晴  …鈴鹿山脈は、標高約1200メートルの御斎所岳(ございしょだけ)を筆頭に…。 鈴鹿  取り乱すんじゃない! 美晴  あの、鈴鹿さん。あたし、さっきからなるべく考えないようにしてたんで すけど、聞いておいてもいいですか? 鈴鹿  何? 美晴  いまのところ、どの車もバラけて来てるんで、いいんですけど、横に並ん で来ちゃった場合、どうすればいいんですか、ちょうど、あんなカンジにぃ! 真っ正面から、横並びに走ってくるスポーツタイプの乗用車。 鈴鹿  しっかりつかまって!足、開くんじゃないわよ! 美晴  え? 鈴鹿  そう言うときは…こうだ! 鈴鹿、ねじ切るようにスロットルをひねると、 ばかでかいドカのフロントを、跳ね上げる。 ウィリー状態のまま、2台のドアミラーの間、わずか数十センチの すき間を、タンク部の下の、一番細い部分でパスする。 美晴  …(失神寸前)…。 鈴鹿  意外とやってみるものねぇ…。 美晴  …? 鈴鹿  ホントに出来るとは思わなかった。 美晴  あ、今、とってもきれいなお花畑が見えました…。 鈴鹿  生命保険の受け取り人、あたしに変えたら行って良し。 美晴  …。 と、鈴鹿、急ブレーキ。 美晴勢い余って、鈴鹿の背中に激突する。 美晴  わ…っと、どうしたんです?急に止まって。 鈴鹿  …。 鈴鹿、進行方向、遠くを見ている。 鈴鹿  …しまった…とうとう、始まったか…。 美晴  え?何? 鈴鹿  迂回するわよ。 美晴  え?だって、いまさらそんなことしてたら、間に合いませんよ? 鈴鹿  通れないんだもの、しょうがないでしょ! 美晴  え?? 鈴鹿、急に方向を変え、横道にたそれる。しかし、すぐに止まる。 鈴鹿  …こっちもダメか…。 美晴  え?え? 鈴鹿  …しょうがない…少し戻るわよ! 美晴  戻る?戻るって…え?何?何? 鈴鹿  バカね、足下見て、気がつかないの? 美晴  足下?足下ったって…ちょっと水が出てきたなってくらいで…。 間。 美晴  …え?…これって…まさか。 鈴鹿  ついに切れたのよ…新川か庄内川の堤防が決壊したんだわ。 美晴  え、じゃあ、じゃあ、ひょっとして…。 鈴鹿  車もバイクも…内燃機関は全滅ね。エンジン濡れたらアウトだもの。 美晴  え?だって、電車も動いてないんですよ? 鈴鹿  …。 美晴  どうするんですかぁ! 鈴鹿  うるさいわね…どうにかするわよ! 美晴  ! 鈴鹿  …とりあえず、迂回路を探してみるわ。 美晴  …。 ドカ900は22号を離れ、西へと向かう。 【B・SideD】 ケイタイをかけている、女0   女0  …はい…はい。小一時間で戻ります…・はい。もし何かあっ たら、連絡して下さい。15分もあれば現着できますから…はい…。 ケイタイを切る、女0。 女0  …少しくらいなら、なんとかなりそう。 男0  すいません。 女0  ん〜ん。わがまま言ってるのは、お互い様だしね。 女0、席に着くと、コーヒーの残りをくっと飲み干す。 (そのくらいの時間は経過している) 男0、片手をあげて、Wを呼ぶ。 W  はい。 男0  お代わりを、彼女に。 W  かしこまりました。 女0  あ、待って待って。そんなに、コーヒーばっかり、かぱかぱ飲めないわよ。 胃がおかしくなっちゃう。 男0  あ、すいません。 女0  だから、そんなにほいほい、あやまらないでよ。 男0  はぁ。 女0  (Wにカップを手渡して)お水もらえる? W  かしこまりました。 女0  とってもおいしいコーヒーだったわ。 W  恐れ入ります。 W、去る。 女0  …で? 間。 男0  はい? 女0  お互い時間もないことですし、そろそろ本題に入った方が、よろしいんじ ゃありませんか? 男0  あ、はぁ…。 間。 男0  あの…ですね。 女0  うん。 ひどく、うろたえている様子の男と、でんと構えている女。 そこへ、W、水を持ってくる。 女0、それを受け取ると、だまって、男の方へ差し出す。 男0  あ、どうも。 男0、一気に飲み干す。 男0  あ(裏声)…(咳払い)…(発声練習)…あの、ですね。 女0  はい。 男0  こっ…この前の…その、返事を…お聞かせいただけ…たら、 いいなぁ…とか、その…。 間。 女0  ね、聞いていい? 男0  どうぞ。 女0  とっても、失礼なこと聞くけどさ。 男0  はい。 女0  プロポーズよね、あれ。 間。 男0、ひどくショックを受けた様子。 そらもう、どこか遠くで、「が〜ん」とかSEが鳴ってそうなカンジ。 男0  ほ…他の何に聞こえるって言うんですか? 女0  いや、だって、ほら、一度あたしの残したお昼のお弁当、すっごく美味し そうに食べてたじゃない? 男0  ええ。 女0  だから、ひょっとして、「毎日、あたしの手料理が食べたい」ってのは、 ホントにお弁当食べたいだけだったりしたら、どうしようとか思って。 男0  そんなはず、ないでしょう…もう、たったあれだけのセリフを考える のに、1週間考え抜いたのに。 女0  それにしては、えらくオーソドックスなセリフにしたのねぇ。 男0  そりゃあ、せっかくの一言ですから、思いっきりゴージャスなセリフにし とうと思ったんですけど。考えていったらどんどんな長くなっちゃって。4 日目くらいには、ノート10ページを越える大長編に。 女0  はぁん。 男0  で、それじゃいくらなんでも伝わらないんじゃないかと思って、5日目に 初心にかえったんです。 女0  なるほどね。 男0  あ、もしあれなら、大長編の方、聞かせましょうか?上演時間は約1時間 28分くらいですけど…。 女0  ああ、いいのいいの。要点は伝わったから。 男0  いや…でも…・伝わらなかったんですよね。 女0  あ、ううん、そうじゃないの。あたしも、「やっぱそういう意味かなぁ?」 くらいは思ったんだよ?でもさ、ホラ、なにしろあたしに向かってそういう セリフ吐いてくれる男って、今までいなかったからさ。大体、年齢だって幾 つ離れてるか、把握してる?○つよ、○つ! 男0  いえ、●(=○+1)です。 女0  あ、そうだっけ?…ま、どっちにしてもさ。ちょっと、慎重になっち ゃった、って言うか…。 男0  はぁ。 間。 男0  あの…で? 女0  「で」って…あ、うん…。 間。 女0  ね、お姉さん。 星亜  はい。 女0  …何か、アルコールない? 男0  !久美子さん…。 星亜  カクテルでしたら、幾つかはございますが。 女0  おまかせするわ。2つね。あたしのは、ちょっと強めのにして。 星亜  かしこまりました。専門外ですので、少々お待ち下さい。 去る、星亜。 男0  いいんですか?このあと、まだ…。 女0  勢い、つけたいのよ。素面じゃ、ちょっとね。 男0  はぁ…。 女0  大丈夫よ。二日酔いで、出たこともあるけど、ばれなかったもの。あはは。 男0  いや、そうじゃなくて、荷が…。 女0  え? 男0  いえ、なんでも…。 間。 女0  ねぇ。 男0  はい。 女0  あの人(星亜)って、運送会社の人なんでしょ? 男0  らしいですね。僕も知りませんでしたけど。 女0  ってことは、何か、届くの? 男0  ええ。まぁ。 女0  …あんま、詳しく聞かない方が、良さそうね。 男0  ええっと…ええ。まぁ。 戻ってくる、星亜。 星亜  ジンジャーエールですけど、間つなぎに。 女0  ありがと。ねぇ、聞いて、いい? 星亜  はい。私で答えられることでしたら、なんなりと。 女0  この人(男0)から、仕事、依頼されてるのよね。 男0  あ、あの…。 星亜  ええ。ですが、荷のことについては、守秘義務がありますので、ご容赦を…。 男0  (ほっ…)。 女0  ふぅん。結構カタいのね。 星亜  プロですから。 女0  ふぅん。 間。 星亜、戻りかける…。 女0  届くの?こんな日に…。 星亜  もちろんです。必ず届きますわ。 女0  えらく自信たっぷりなのね。 星亜  おそれいります。 女0  届かなかったら? 星亜  運送料は、一切いただきません。そういう契約ですから。 女0  へぇ。なんか、ピザの宅配みたいね(笑)。30分以内に届かなかったらってヤツ。 星亜  基本的にはそうですね。ただ、我々の方が、ちょっと額が大きいですけど。 女0  かかるの?かなり…(費用)。 星亜  そうですね。超特急料金、必要経費込みで請け負っていますし、こういう 気象状況だと、危険手当がつくことになってますし。あ、ちなみに、必要経 費の中には、燃料代の他に、破損・劣化したマシンのパーツや、公共物、主 にガードレールなどの弁償、オービスにかかった場合の罰金等も含まれます ので…(ポケットから電卓を出して)…ええっと、こうきてこうきて、 デンデンと…今のところ、このくらいは見ておいていただけると…。 のぞき込む、女0。 女0  いち、じゅう、ひゃく…あれ?…いち、じゅう…って、ちょっと、これ…。 星亜  間に合えば、の話ですけれど。ハイリスク・ハイリターンってところですね。 間。 女0  …ね。 星亜  はい。 女0  それって、キャンセル可能? 男0  !久美子さん…。 女0  だって、こんなの、暴利じゃない。 男0  いや、まぁ、ちょっと高いですけど…。 女0  ちょっと?ちょっとって言わないでしょ、これは。 男0  でも、こういう日ですし…。 女0  普通に郵便局なり、宅配便なり使えば、明日、明後日には届くんでしょ? それでいいじゃない。 男0  いや、でも、それだと有機酸と酒石(しゅせき)酸のバランスが…。 女0  え? 男0  あ…いや…。 間。 女0  …何、運んでるの? 男0  …届けば、分かりますよ。 間。 無言の三人。 男0、無言のプレッシャーに絶えきれず…。 男0  グロリアズ…。「栄光」とか、「楽園」とか…「極楽浄土」とかっていう意味です。 女0  何、それ…? 男0  黄昏色のカラード…至上の幸福感が味わえるはずです…間に合え ば、ですけど…。 不適に笑う、男0。 顔を見合わせる、女0と星亜。 星亜、少し離れると、ケイタイ。 星亜  …もしもし?美晴? 【A・SideE】 美晴  はい、こちら美晴  です。 星亜  (そっちの様子はどう?) 美晴  それが…進んでるって言うか、止まっちゃってるって言うか…。 星亜  (何?いまどこ?) 美晴  今ですか?ええっと…。 ケイタイひったくる鈴鹿。 鈴鹿  稲沢と春日町の境目あたり。 星亜  (社長?…え?22号からそれちゃってるじゃないですか?それに、 さっき名神くぐっておいて、まだその辺てどういうことです?) 鈴鹿  しょうがないでしょ?バイクじゃこれ以上進めないんだもの。 星亜  (決壊、ですか?) 鈴鹿  そう 星亜  (…やっぱ、きましたか…。) 鈴鹿  そっちから、様子、分からない? 星亜  (無理ですよ。こっちのタワーからじゃ岐阜方面は見えませんもの。) 鈴鹿  そう…クライアントの方は? 星亜  (まだ、待ってます。もう、あんまり時間もないですけど。) 鈴鹿  …。 星亜  (どうします?) 鈴鹿  どうもしないわ。変更は無しよ。いざとなったら、這ってでもとどけるわ。 星亜  (了解。あ、それと…) 鈴鹿  何? 星亜  (…荷って、何ですか?) 鈴鹿  箱よ。木箱。 星亜  (じゃなくて、その中味です。) 鈴鹿  ワレモノだってことしか把握してないわよ。何…あんたが知ってるん じゃなかったの? 星亜  (それ…ひょっとして、化学薬品とかじゃありません?注射のアンプ ルだったりとか…) 鈴鹿  何?どういう意味? 星亜  (いや…麻薬とか、そのテのたぐいのモノかも…とか思って) 鈴鹿  何よ。確認しなかったの? 星亜  (ええ。) 鈴鹿  何で!ヤバイ仕事は請け負わないはずでしょ? 星亜  (条件がいいから受けろって、社長が…。) 鈴鹿  …。 星亜  (…一応、通報する準備だけはしておきます) 鈴鹿  よろしく。 ケイタイ切れる。 場所は、県道62号線。春日町役場あたり。 道にドカを停め、鈴鹿、ガードレールにもたれている。 美晴  …ねぇ、鈴鹿さん。 鈴鹿  …。 美晴  いいんですか?時間なくなっちゃいますよ? 鈴鹿  …。 美晴  まぁ、あたし的にはありがたいですけど…でもでも、依頼の方まずい んじゃないですか?だって、あと20分もないくらいですよ? 鈴鹿  うるさいって言ってるでしょ!考えてるんだから、黙ってて! 美晴  だって、走って行くっていう方法だってあるじゃないですか! 鈴鹿  あんた、持久走の自己ベスト、どれくらいよ。 美晴  え…9分くらいかなぁ…? 鈴鹿  ホントは? 美晴  …すいません。12分48秒です。 鈴鹿  1000mでそのタイムでしょ。名古屋駅まで、まだ10kmくらいある のよ。おまけにここから先、どんどん水位は上がるでしょうし。走ったくら いで間に合うワケないでしょう。 美晴  …でもぉ…じゃ、依頼はあきらめちゃうんですか?。 鈴鹿  …。 間。 鈴鹿  ちょっと貸して。 美晴  あ、はい。 鈴鹿、美晴から、木箱を受け取る。 外国語のステッカーは、英語以外のモノもあり、さっぱり意味は分からない。 鈴鹿  …もしも…。 美晴  ? 鈴鹿  せっかく運んでおいて…もしも、ヤバイものだったら…。 美晴  鈴鹿さん? ケイタイ。 鈴鹿  星亜? 中条  俺だ。 鈴鹿  中条! 美晴  え? 鈴鹿  ちょ…あんたね…! 別空間に登場する、中条  。 中条  ゴタクは後だ。今、どこだ! 鈴鹿  春日町役場のあたり…。 中条  もっと詳しく! 鈴鹿  何よ!稲春橋のたもとよ!それが何! 中条  堤防切れて、立ち往生ってところだろ。 鈴鹿  な…そんなことないわよ! 中条  ばかやろう!レース前のセッティングは俺が仕切ってたんだぞ。天候くら い読めないとでも思ってるのか! 鈴鹿  !…。 中条  …そのまま、そこで待て。 鈴鹿  え? 中条  援軍を送った。その地点で合流させる。 鈴鹿  何よ…。 中条  役に立つかどうかはわからんが…お前もプロだってんなら、使いこな して見せろ。 鈴鹿  何よぉ!偉そうなこと言わないでよ! 美晴  ! 中条  ? 鈴鹿  そっちは「店長」で、こっちは「なじみの客」なんでしょ?何様のつもり よ!今さら偉ぶって講釈たれてんじゃないわよ! 中条  …バイクの金はもらってないぞ。 鈴鹿  言い値で買い取るって言ってるでしょ?後でいくらでも振り込んでやるわ! 中条  その依頼が失敗しても、払えるのか? 鈴鹿  …ぐっ…! 中条  アフターサービスだ。もらっとけ。 一方的にケイタイ切れる 鈴鹿  あ、ちょっと! 美晴  どうしたんですか? 鈴鹿  …援軍…来るって…。 美晴  援軍って? 鈴鹿  知らないわよ! と…。 美晴  !…鈴鹿さん…。 鈴鹿  何? 美晴  呼んでません? 鈴鹿  え? 彼方から聞こえてくる声。 メット男  (声)…お〜い…すぅずかさぁ〜〜〜ん…。 鈴鹿  一体どこから… 呼び続ける、メット男の声は、だんだん大きくなり…。 美晴  !…分かった…。 美・鈴  「川」だ! ゴムボートに乗って、メット男、再登場! メット男  お待たせしましたぁ!「国道21号の狼」が、「五条川の飛び魚」となっ て、鈴鹿さん!今、あなたのピンチにはせ参じましたぁ! 「川にゃ飛び魚はおらんわい」と言うツッコミを受けつつ、 メット男、手慣れた手つきで、ゴムボートを橋桁に係留し、鈴鹿らの ところにかけてくる。 メット男  さぁ、乗ってくんな!この五条川は、県道62号に併走してる。清洲の手 前までなら一気に行けるぜ! 美晴  …あんた…。 メット男  ふっ、こう見えてもな、ガキの頃からイカ釣り船に乗せられて、家業、手 伝わされてたんだぜ。大シケの海だって経験してらぁ!こんな台風、屁でもねぇ! 美晴  …。 メット男  どうよ。これでも「青臭い」かよ? 美晴  …ううん。全然! メット男  ぃよ〜〜っしゃあ、行くぜぇ!…おっと、ただし、このボートは2人 乗りだ!悪いが、俺の他には鈴鹿さん、あんたしか乗れねぇぜ。 鈴鹿  そう。じゃ、しょうがないわね。 美晴  ですね。 一歩前に出る鈴鹿と、一歩下がる美晴。 メット男  …………あり? 鈴鹿  何? メット男  いや……おりょ? 鈴鹿  何よ。 メット男  …「鈴鹿」さん? 鈴鹿  そうだけど…気安く呼ばないでくれる? メット男  〜〜〜〜(涙で何も見えません)。 鈴鹿  ほら、時間無いんだから、早く出して! メット男  しくしくしくしく…。 美晴  あ、ちょっと待って。 美晴、メット男にかけ寄ると、白いスカーフ(?)を手渡して…。 美晴  これ…。 メット男  ! 美晴  やっぱね…形も大切でしょ。 メット男  …サンキュ…・さ、行くぜ。 メット男、鈴鹿を促して河原へ。 一人残る美晴。 美晴  …でさぁ……あたし、バイク乗れないんだけど…この後、 どうしたらいいと思う? 肩をすくめて見せる、ドゥカティ・ブラザーズ。 【A・SideE=2】 で、その五条川。 ちなみに、一宮市今伊勢町から、どうやって五条川の上流までボート を運べたのかは、考えてはいけないことになっています。 海水浴ででも使うような小さいゴムボートに、前に鈴鹿、後ろにメッ ト男で乗る。 メット男  乗ったか? 鈴鹿  OK!大丈夫! メット男、美晴からもらった白いスカーフをしばし握りしめると、お もむろに、くるくるっとねじり、額にびしっと巻いてみせる。 メット男  よっしゃ、気合い入ったぁ!行くぜ、おばちゃん! 鈴鹿  じゃかぁしい! メット男、係留していたロープを外す。 流れに乗って、急加速するボート。 鈴鹿  ぅおっとっと…。 メット男  立つんじゃねぇ!ただでさえ、大人が二人乗るには底面積が少ないんだ! 重心高くすると、転覆するぜ! 鈴鹿  大丈夫なの? メット男  まかせな!対馬海流で鍛えた腕は、筋金入りのアイアンアームよ! 右に左に、ぐらぐらゆれる小さなボート。 しかしメット男、ボートのふちについたロープを巧みにさばいて安定 させる。 鈴鹿  やるじゃない。 メット男  どんなもんよ…っと、やばい! 鈴鹿  え? メット男  伏せろ! とっさに身を伏せる鈴鹿。 その上を通り過ぎる、橋の影。 歩行者用の小さな橋だが、頭上を通るとなると、やけに巨大に見える。 鈴鹿  何? メット男  橋だ。水位が上がって、水面と橋とが接近してるんだ。うかうかしてると、 首から上が持っていかれるぞ! 次々に、幾つかの橋をくぐる。 (そんなにたくさんの橋があるのかどうかは、知りません。) 鈴鹿  ぜ〜〜…は〜〜…・。 メット男  …減速すっか? 鈴鹿  なめんじゃ、ないわよ。 メット男  あ、そ。じゃ、あれもOkだな? 鈴鹿  え? 見ると、川を横切って露出していたパイプが、水面すれすれに走っている。 鈴鹿  何、あれ? メット男  水道管かなんかだろ? 鈴鹿  水面にさわっちゃってるじゃないの!あんなん、どうやってくぐるのよ! メット男  そんなもん…跳び越すに決まってるだろ! 鈴鹿  え? メット男  オラ、立ちなよ。 鈴鹿  ちょっと、ちょっと…。 メット男  行くぜ!せ〜の! 跳び越す、二人。 鈴鹿  マリオブラザーズか、これは! メット男  初代ファミコンソフトな。俺、プレイした記憶、無ぇわ。はっはっは。 鈴鹿  何が言いたいのよ、あんたは! メット男  あ、立つと、こけるぜ。 鈴鹿  〜〜〜覚えてなさいよ! 二人の乗ったボートは、南へ南へと…。 【B・SideE】 星亜、カクテルを持ってくる。 星亜  お待たせしました。 女0  ありがと。何、これ。 星亜  マティーニですが、お気に召しますかどうか。 女0  あら、大好き。 星亜  何よりです。 女0  (男0に)はい。 男0  あ、どうも。 女0  かんぱい。 女0、一口飲む。 女0  うーわ、すっごいドライにしたのね。 星亜  すみません。専門外なもので。ベルモットが多すぎましたか? 女0  ううん、それはそれで好き。 星亜  恐縮です。では、なにかご用がありましたら。 星亜  、下がる。 女0  …。 男0  …。 言葉もなく、たたずむ二人。 女0  …飲まないの? 男0  あ、いえ…。 グラスを持ったまま、うつむいている男0。 男0  …。 女0  …。 間。 女0  …聞いていい? 男0  え?ええ。 女0  仮に…「仮に」よ。あたしとあなたが一緒に暮らすことになったとし て…その後、どうしたい? 男0  …は? 女0  もう少し、具体的に言おうか…お互いの仕事、どうするの? 男0  それは…お互いの相談の上、って言うか…。 女0  例えば、よ。そのポーランドだかの仕事が半年かかったとして…そし たらあたし、あなたが帰ってくるまで待ってなきゃいけないことになるのかしらね。 男0  それでもいいし…それとも…。 女0  ? 男0  …いっしょに、ポーランドに行くっていう選択は無いですか? 女0  あ、そうか。そういう手もあるか。 男0  そういう手って…じゃあ、どういう手を考えていたんですか? 女0  あなたがポーランドに行くのをやめるっていう手。 男0  ! 女0  ダメ? 間。 男0  …他の手は、無いんでしょうか。 女0  さぁ。 間。 男0  …僕は…これでも社長なんです。ワンマン会社で、電話番のバイ トがいるだけの、小さな小さな輸入会社だけど…それでも僕は、一国一 城の主なんです。だから… 女0  …だから? 男0  …。 考え込む、男0 女0  あたしね。 男0  はい。 女0  仕事、辞めたくないのよ。 男0  …。 女0  (笑)良いことなんか、何にも無いのよ。朝は大抵3寺起きだしさ。その くせ夜はいつまでかかるか分からないし。睡眠時間は移動中の新幹線やワゴ ンの中だけ、なんて日が何日も続くこともあるしね。 男0  …。 女0  自分より何年も後輩の子達はどんどん上に行っちゃうし、 そうじゃない子は寿退社だし…はっきり言ってね。この年でまだ「外」に出てるようじゃ、 この先何年やったって芽なんか出ないのよ。それは分かってるつもりなの。 男0  …。 女0  でもね。自分で納得いくところまではやってみたいのよ。 間。 女0  初めて会った日もそうだったわよね。 男0  え? 女0  あなた、マイク向けたら、かわいそうなくらい緊張しちゃってさ。 男0  ああ(笑)。 女0  打ち合わせしといたことなんか、全然どっか行っちゃうし。 男0  やだな。忘れて下さいよ(笑)。 女0  イヤ。 男0  ! 女0  忘れない。あれも、あたしのした仕事だもの。 男0  …。 女0  何て言うか…呪い、みたいなモノね。 男0  呪い? 女0  「そういう星の下に生まれてきた」って言いたいとこだけど、それほどカ ッコ良くないからさ…たたられてるのよ、きっと。あたし(笑)。だか ら、この辺にくっついてる何かが成仏するまで、やりきるしかないの。なん か、そんなカンジ。不憫な女でしょ(笑)。 男0  …じゃあ…。 女0  ん? 男0  仮に…「仮に」ですよ。僕が「それでもいい」って言ったら…? 女0  どういうこと? 男0  仕事も辞めます。生活パターンもあなたに合わせます。あなたの提示する 条件は全て飲んでもいい…それでもあなたを望みます。 女0  …。 男0  …って言ったら? 女0  …そうねぇ。 男0  …。 間。 女0  「仮に」がついてたんじゃ、答えられないかなぁ…。 男0  …。 間。 女0  ね、お姉さん。 星亜  、来る。 星亜  はい。 女0  も一つ、何か作って。今度はもっと甘いのがいい。 男0  え? 女0  何? 男0  あの…いいんですか? 女0  かまわないわよ、一杯が二杯になったって、誤差ってもんでしょ。 星亜  甘いモノ、ですか…。 女0  あ、でもカルーアとかはやめてよ。そういうんじゃなくて。 星亜  すみません、専門外ですので…せめて具体的に。 女0  あ、そうか。そう言えば、ホントは運送会社の人だったわね…じゃあ ね…ジンは好きじゃないし…あ、じゃ、ワインクーラーでいいや。 赤の甘口のやつ。 男0  (むせる)!げほっ! 女0  何、一体? 男0  いえ、何でも…。 一礼して去る、星亜。 男0  頼む…早く届いてくれ! 【A・SideF】 ボート、減速して、岸に着く。 *どうやって減速したのかは、考えてはいけません。 メット男  ここらまでだな。この先は、甚目寺の方へ行っちまうみたいだしよ。 鈴鹿  そう。 ボートを下りる鈴鹿。 鈴鹿  名古屋駅まで、あとどのくらいか分かる? メット男  浜坂生まれの岐阜市民に聞くなよ。 鈴鹿  しょうがないでしょ、地図おいてきちゃったんだもの。 メット男  分かんねぇけど…ま、大体3〜4kmってとこじゃないか? 鈴鹿  …そう。 メット男  あとは歩きか? 鈴鹿  それしかないわね。 メット男  ふぅん…ま、がんばんな。 鈴鹿  サンキュ。あ、そうだ。 メット男  ん? 鈴鹿、メット男に名刺を渡す。 鈴鹿  ごめんね。今、こんなもんしかないけど。せめてものお礼に。 メット男  何だ、これ? 鈴鹿  会社の連絡先。あたしら、あんまり事務所にいないけど、たまにはいるか ら。運が良ければ美晴が取ることもあるわよ。 メット男  (笑)サンキュ。これ(スカーフ)ももらっといていいかな。 鈴鹿  いいんじゃない? メット男  じゃ、遠慮なく。 鈴鹿  じゃ、ね。 メット男  ああ。 去りかける、鈴鹿。 メット男  あ、そうだ。 鈴鹿  何? メット男  忘れるところだった。これ、修理屋のおっさんから預かってきたぜ。 鈴鹿  え? メット男  ボートを下りるときに渡せってさ。 メット男、ボートの底から大きなボストンバッグを持ち上げ、岸におく。 メット男  ふ…じゃあな。 流れていく、メット男。 *その後、どこでどう回収されるのかは不明です。 一人残る、鈴鹿。 鈴鹿  …。 鈴鹿  、バッグに近寄ろうとすると、 見計らったように、着信音。 鈴鹿  ! 鈴鹿、ケイタイをとる。 鈴鹿  …もしもし。 中条  俺だ。そろそろ降りた頃か? 鈴鹿  うん。そうだけど。 中条  …まだやる気か? 鈴鹿  当然よ。決まってんじゃない。 中条  その先は、枇杷島、栄生だ。一昨年の水害じゃ、最も被害の大きかった辺 りだぞ。それでもか? 鈴鹿  …。 中条  …まぁ、いい。バッグは届いてるか? 鈴鹿  うん。ある。 中条  焼け石に水だとは思うがな、使いたきゃ使え。 鈴鹿  ? 鈴鹿、バックのファスナーを開けてみる。 中から出てきたのは、折り畳み自転車。 鈴鹿  !…これ…。 中条  無いよりはましかと思ったが…場合によっちゃあかえって邪魔かも知 れん。ま、使う使わないは勝手に決めろ。俺がやれるのはそこまでだ。 鈴鹿  …。 鈴鹿  、あらぬ方向を見ている。 中条  …おい、聞いてるのか? 鈴鹿  …助かった…。 中条  え? 鈴鹿  助かったわ!まだ間に合うかも知れない! 中条  …おい。 鈴鹿  そうよ…もっと早くに気がつけば良かった。これならなんとかなる! 中条  おい、待て! 鈴鹿  ! 中条  何を思いついたのかは知らんが、落ち着いて考えろ!そこから先は、どん どん水位が上がっていくんだぞ。時間的に見て、まだそれほどじゃないかも 知れんが、それでも膝のあたりくらいまでは水が上がってきてるだろ。 鈴鹿  でしょうね。 中条  その自転車の()インチタイヤじゃ、半分以上水に浸かる。真っ当に 走ることなんかできんぞ。 鈴鹿  かもしれないわね。でも大丈夫よ。 中条  あ? 鈴鹿  水に浸かっていない道を見つけたわ。ここを通れば名古屋駅まで一気に行ける。 中条  バカ言え。そんなもん、あるわけ無ぇだろ。 鈴鹿  それがあるのよ。今、あたしの目の前に! 中条  ? 鈴鹿  まさに最短コースだわ。一段高くなってるから、ほとんど水に浸かってな いし、何よりここからならほぼ直線コースで行ける。普通に国道や県道より 早く行けるはず!新川も庄内川も飛び越えて、名古屋駅まで直行できるわ! 中条  お前…まさか、線路を走る気じゃないだろうな! 鈴鹿  当然! 中条  バカか!死ぬ気か? 鈴鹿  バカはどっちよ。「電車は止まってる」のよ? 中条  ! 鈴鹿  行ける…行くしかない、もう時間がないんだもの。 中条  待て。 鈴鹿  何よ。 中条  どっちを行く気だ? 鈴鹿  え? 中条  どっちの線路を行く気だって聞いてるんだ。 鈴鹿  どっちって…? 中条  JRと名鉄。どっちの線路を行く気だ! 鈴鹿  知らないわよ。あたしの目の前には、一本しかないんだもの。 中条  それがJRの線路ならいい。JRのホームは地上2階だ。そのまま行ける だろう。だがな、名鉄のホームは地下だぞ!間違えて名鉄の方を進んで見ろ。 入水自殺するようなもんだぞ! 鈴鹿  …。 中条  やめとけ。危険が大きすぎる。 鈴鹿  何言ってんのよ。 中条  ? 不適な笑みを浮かべてみせる鈴鹿。 鈴鹿  だからいいんじゃない。 中条  !お前…。 鈴鹿  緊張感のない仕事なんか、こっちから願い下げだわ。 中条  いい加減にしろ!お前、あの事故で何一つ懲りてないのか? 鈴鹿  懲りる?何に? 中条  ? 鈴鹿  あの事故で分かったことは、ひとつだけよ。「どん底からでも這い上がれ るんだ」ってことだけ。 中条  !…。 鈴鹿  あたしは精一杯の走りをした。あれはその結果。懲りなきゃならないこと なんか、何にも無かったわ。 中条  …。 鈴鹿  後悔しなきゃならないことなんて、何一つ無いのよ。あたしも…あんたも…。 間。 中条  …変わったな。お前。 鈴鹿  もともと、こんなもんよ。少なくとも、あたしはそのつもり。 中条  そうか…じゃあ…それを見抜けなかった俺のミスってこったな。 鈴鹿  …。 中条  なっちゃいねぇな…俺もよ。 間。 鈴鹿  …ねぇ。 中条  ん? 鈴鹿  …ありがとね。 中条  何が。 鈴鹿  …あたしのケイタイ番号…まだ、残してくれてたんだね。 中条  ! 鈴鹿  …ありがと。 間。 中条  …安心しろ。この通話が終わったら、削除しといてやるよ。 間。 鈴鹿  うん…。 中条  …。 鈴鹿  そうね…そうして…。 間。 お互い、相手が何かを言い出すのを待つ、長い長い間。 そして…。 中条  …じゃあな。 鈴鹿  …うん。 鈴鹿、ケイタイを耳からはなすと、ボタンに力を込める。 何かが切れてしまわないように、静かに静かに力を込めていく鈴鹿。 しかしそんな想いとは無関係に、無機質な電子音をたて、ケイタイは 切れる…。 鈴鹿  …。 ケイタイをじっと見る鈴鹿。 鈴鹿  …ま…こんなもんよね…。 頬を伝うのは、雨粒か… 長い静寂。 しかし、やがて、きっと顔を上げる鈴鹿。 鈴鹿…さて…そんじゃ一発、てっぺんまで行きますか! 【Side・「x」】 女0  (ケイタイの画面を見て)…あと、○分ってとこね。 男0  ! 女0  あ、大丈夫。時間まではいるわよ。 男0  そうして下さい。 *** ストップウォッチを、ロスタイムモードにして…。 鈴鹿  あと○分…残り4kmとして…単純計算で時速●kmくらいか・ ・・ま、やってやれない数字じゃないわね。 ストップウォッチを懐に入れる。 *** 女0  そうね…2杯目を飲み終わるまでは…。 男0  …。 独り言のようにつぶやく男0 男0  …まだだ…アレさえ届けば…。 *** 鈴鹿  Ready… *** 男0  …頼む! *** 鈴鹿  Go! 猛然とペダルをこぐ鈴鹿。 枕木とじゃりだらけの悪路を、走る走る。 *** 女0  …このまま… 男0  え? 女0  …このまま、2杯目が来なかったら… 男0  …。 女0  ううん…なんでもない…ちょっと酔ったかな、やっぱり。 男0  …久美子さん。 *** 鈴鹿  …あと●分! さらに、激しくペダルをこぐ鈴鹿。 …しかし。 鈴鹿  ! 急ブレーキ。 辺りを見渡す鈴鹿…。 鈴鹿  え?…ここって…名鉄栄生駅? 足下の線路の行く先は…。 鈴鹿  …しまった! 行く手にそびえるツインタワー。 鈴鹿  あと●分…。 一瞬の逡巡。 鈴鹿  …ええい、ままよ!行けぇ! そのまま、直進する鈴鹿。 *** 星亜  お待たせしました。 カクテルを運んでくる星亜。 盆の上には、背の高いカクテルグラス。 女0  …ありがと。 男0  あ…。 女0  ん? 男0  あの…。 星亜、渡して良いものか迷いつつも、女に手渡し…。 と、男0、横からカクテルグラスをひったくる。 女0  え? 男0、意を決すると、一息で氷ごとカクテルを飲み干すと、 が〜りがり鳴らせて、かみ砕く。 男0  久美子さん! 女0  ! あまりの剣幕に、圧倒される女0。 男0  あの! 女0  はい。 男0  僕と! 女0  ええ。 男0  けっ…! 着信音。 女0  あ、ごめん。 女0…メールを見て。 女0  !…うそ…。 星亜  どうかされましたか? 女0  変更!中継入れるって!…行かないと。 星亜  はぁ…。 コートやカバンをいそいそとまとめる女0。 女0  (男0)ごめんね。また連絡するわ。 もはや、全精力を使い果たし、塩の柱と化している男0。 男0  …。 走り去る、女0 数歩行ったところで立ち止まる。 女0  ねぇ! 男0  ? 女0  それでも…あたし多分、あなたのこと、好きよ。 男0  …。 女0  あなたのことも、 そういうあなたをほっぽって、仕事に行く自分も、 どっちも捨て難く愛してる。 今までも、これからも、 今、この瞬間も、 きっと、 ずっと…。 間。 男0  …行って下さい。 女0  …ありがとう。 男0  …。 去る、女0。 脱力したように、座り込む男0。 男0  終わった…。 間。 星亜  あの…。 男0  え?…ああ。大丈夫ですよ。料金はちゃんと払いますから。 星亜  いえ、そうではなく…。 男0  …。 星亜  何か、お持ちしましょうか? 男0  いえ…一人にしてくれれば、それで。 星亜  …かしこまりました。 去りかける、星亜。 と。 ほとんど無人のティーラウンジに響き渡る、固い靴音。 かつーん、かつーんと、一歩一歩踏みしめながら…。 星亜  これ…。 男0  まさか…。 振り向く、男0 男0  戻ってきて、くれたんですか? と、そこに立っていたのは…。 鈴鹿  お待たせしました。有限会社「クロスチェイサー」です。 男0  …(がく〜〜ん)。 ひどい格好の鈴鹿。 もとは盛装だったはずだが、スカートは引き裂かれ、ストッキングは 伝線している。 合羽はどこかで脱ぎ捨てたのか、全身ずぶぬれ。頭からはぽたぽた水 が落ちている。 星亜  社長。 鈴鹿  間に合った? 星亜  …あたしの時計では、まだ26秒くらいあります。 鈴鹿  そ。 星亜  どうしたんですか?そのカッコ。 鈴鹿  名鉄名古屋駅のホームで、タイタニックしてきた。 星亜  はぁ? 鈴鹿  …死ぬかと思ったわ、マジで。 鈴鹿、男の前に箱を出してみせる。 鈴鹿  ご依頼の品はこちらでよろしかったでしょうか。 男0  …ああ。確かに。 鈴鹿  こちらに印鑑かサインをいただけますか? 男0  、懐から出した、いかにも高そうなペンで一筆。 ふやけてふにゃふにゃになった受け取りを手渡す鈴鹿。 鈴鹿  …遅くなりまして、大変ご迷惑をおかけしました。 男0  いや。 鈴鹿  ? 男0  君たちは、立派に依頼を果たしてくれた…あとは、僕自身の問題だ。 鈴鹿  …。 男0  正直言って…ホントに届くとは思わなかったよ。 鈴鹿  …。 男0  ありがとう…君たちは正真正銘、運びのプロだ。 鈴鹿、満面に不適な笑みを浮かべ 鈴鹿  どういたしまして。 しかし、顔は「どんなもんだい」とでも言いたげ。 男0、木箱を見て。 男0  …これはもう、用済みなんだけれど…(鈴鹿)あの。 鈴鹿  はい? 男0  これ、もらってもらえませんか?ホントは別の女性にあげるはずのモノだ ったんで、恐縮ですが…感謝のしるしに。 鈴鹿  …はぁ。 男0、厳重にとめてある木箱のふたを、ひっぺがしにかかる。 男0  ところで。 鈴鹿  はい。 男0  おいくつですか?年は? 鈴鹿  失礼ね!初対面の女性に、年聞くモンじゃないわよ! 男0  あ、すいません。でも…! 木箱のふたが開く。 男0、箱の中味を、大切そうに取り出す。 出てきたのは、 星亜  …それは? 男0  「トロッケン・キリストゥス・グローリアス」。おそらくは、その現存す る最後の一本…あの人と…同じ年齢のビンテージワインです。 星亜  …。 男0  でも…「至上の快楽」とまで言われたその風味も、今年が限界なんで す。多分、あと数ヶ月で酸のバランスが崩れてしまう。 星亜  …。 男0  今しか…今しか、無かったんだ…きっと、喜んでくれると思ったのに…。 間。 男0、星亜にビンを渡す。 男0  開けてくれませんか、これ。みんなで飲みましょう。 星亜  え?…いいんですか? 男0  乾杯しましょう…今宵働く、全てのプロフェッショナルに! 音楽! *** コルク抜きを持ってきて、栓を開ける星亜。 華奢なワイングラスにつぎ分ける。 *** 別空間の女0 女0  遅くなりました!…大丈夫?…OK…鏡、見せて。 女0、架空のスタッフが持っている鏡を覗き込み、手で髪を直す。 別のスタッフが手渡した、合羽を受け取ると、着込む。 ダサイ蛍光イエローの合羽の胸には、「ヤッパくん」とか書いてあっ たりする。 女0  …おかしくない?そう…OK、やって…。 架空のADの、カウント。 (AD)5…4…(3)…(2)…(1)…(キュー)! 女0  こちら名古屋駅前です。水位はかなり上がってきています。ちょうど私の 腰の辺りまででしょうか… ボリュームは下がり、次第にマイムになっていく。 *** ワイングラスを傾ける男0と鈴鹿。 鈴鹿  …!すご〜〜い、激甘ぁ! 男0  モーゼルのワインの中でも、格別に甘いですから。 鈴鹿  うはは、たしかに麻薬的だわ。くせになりそ。 星亜  〜〜〜〜〜。 男0  あの…。 鈴鹿  何よ。 男0  もう一つ、仕事を引き受けてもらえませんか? 鈴鹿  仕事? 男0  僕を空港まで運んで欲しいんですけど。 鈴鹿  イヤよ。お断り。大きい仕事の後は、休暇取ることにしてるのよ。 男0  そこを何とか。 鈴鹿  どうしてもって言うんなら、高いわよ。 男0  いいですよ。 鈴鹿  何よ、強気じゃない。 男0  「トロッケン・キリストゥス・グローリアス」。保存のいい物はもう残っ ていないとされていた、幻のワインですからね。オークションにかければ、 日本円で800万円は下らないと思いますよ。 鈴鹿  ! 男0  少なく見積もっても、それ一杯で、50万円はしますけど。 鈴鹿  …。 鈴鹿、おもむろに男の方にグラスを差し出してみせる。 男0  ? 鈴鹿  もう一杯くれたら、気が変わるかもよ? 男0  (笑) 男0、グラスに注ぐ。 一息で飲みきってみせる鈴鹿。 「負けてなるか」と、ビンからラッパで飲んでみせる男0 大笑いする二人。 やけくそ気味の二人は、らんちきモードに入っていく。 *** 先ほどに続いて放送中の女0 女0  …車、オートバイを運転中の皆様。どうぞ、無理をなさらず、気をつ けて運転して下さい。現場からお送りしました。 終わることなくリフレインしていく音楽。 荒れ狂う台風。 しかし、夜は灼熱の紅を残しつつ、 深みを増して、静かに更けゆく。 それはドイツワインの色に似て、 冷たくも、内に情熱を秘めた、 深い深い紅。 終                                                                                                                                                                 本作品を上演する場合は、劇団あとの祭りまでご連絡ください。 2